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2011〜2013 n' more AKIHIRO の 徒然きまぐれ日記  
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2013.3.07
迷子になったら
昨日は、暖かで穏やかな一日だったね。裏庭の紅梅も七分咲きと美しい姿を見せてるし、水仙の花も輝き始めた!・・・と思ったら、水仙はもう5日前には開花していたそうだ・・・
ショック大!!!   
今日も朝の気配だといい天気で温かくなりそうだな。京都の予想気温は18℃!!ポカポカ陽気だね。。。

さて、今日は迷子になった時のお話
幼い頃はよく迷子ってのになったんじゃないかな?
此処が何処なのかわからなくて・・・
頼りの大人は見つからなくて・・・
途方に暮れて、心細くて・・・
とにかく探さなくっちゃって・

でも、そんなに遠くには行けなくって、また同じところに戻ってきたら
もう泣くしかないんだよね。

実は大人になっても迷子にはなるもんだ。。。方向○○の話じゃねえ。。。
まともに生きてりゃ、進む道だって見失うし、今歩んでる道が正しいのか?って不安になるもんだろ!

そんな時は、自分が何を欲しているのか、どうなりたいのかをまずは頭で思い浮かべてみるんだ。。。そして、文字として書きだしてみるよ。画面上に打ち出してみてもいいね。そして、恥ずかしがらずに大きな声で読んでみよう!

・・・納得できるかい!?   できるわけないよ!  そんなので納得できるなら迷子じゃないからね。
「わかんない。」なんて書いてる者は論外だな(笑)以外と迷子になってることも認識できてないかもしれないよ・・・でも、なんとなく不安だったりするんだよね。。。
そして、声に出して読んでみたら・・・それらを全部否定してみるんだ!
ん。全否定する。または、全否定してしまう自分がいる。

頭で思ってたり、考えたりしても・・・ココロがそれを許さない!

それが、自分の今のところの真実だったりするんでしょ。

聞くところによると、女性は真実よりも事実に生きるらしいんだけど・・・今の時代、性差も縮まったり、あやふやだったりするしね。。。

まあ、そこにある譲れないもの!・・・自分のルールみたいなもの・・・
ひょっとして、随分曲げて生きてるんじゃないの?って気づいたらしめたもんよ!
失うことがこわくて、守ろうとして、理解のある人を演じながら・・・都合のいい人になってしまってる。
そんな自分に魅力が感じられない。というか、自己の剥離が起こってしまう。理解のよい人を演じることは疲れるよね。。相手に求めて、期待して、応えてもらえなくて、楽しくなくて、喜びもなくて。。。結果、支配されている。。。精神的にね。これって、すげえつらいと思う。

だから、「卒業」するんだよね。(苦笑)アンド(汗)

んじゃ、自分の本音に嘘をついてまで「理解のよい輩」になってしまうのはなんでなん?
恋愛だって、会社仕事だって、買い物だって・・・失うことを恐れちゃうからね。
視野が狭まり、風通しが悪くなっちまう。。。

そんな時は、たいてい相手にもそういったご都合主義を押しつけてたりするんだよね。

理解のよい人が、魅力的な人とは限らないしね!
相手さんだって魅力ある人を選んでいくだろうし・・・もう泥沼感炸裂!って感じやん。

粉砕覚悟!の騎兵隊(高杉)ほど、とんでもないアホさがおもしれーもんないしな(笑)

無くすもんなんて、はなから持ち合わせちゃいないんだよ。俺たちは、手ぶらで生まれてきたじゃないの。拳だけ握りしめてな!

覚悟がなかったんやろね。。。

まあ、自分自身のことでもあるんやけどな。。。

覚悟しないと、ラクに生きてけるし・・・流されて・・・迷子になって・・・

つまるところ、自分のルールってやつの確認を怠るな!ってことだ。。。

それで、いいじゃねえか!!!



2013.3.05
生きる個の質量
強い人も弱い人も、富める人も貧しき人も、皆平等に重力に縛られながら生きている。
ん?太った人と痩せた人とでは違うってか!?まあ、単位量あたりではほぼ等しいでしょう。
標高差はどうするって?細かいことはいいなさんな!
つまりだ・・・その、比較されたり、比較しあったり、比較したりしながらだね・・・他人の尺度で測られたり、その尺度で評価されたり、また、その評価が気にくわなかったり、その気にくわないことを気にしたり、その気にくわないことを人に伝えてる自分が気にくわなかったり。。。

なんなんだろうね。所詮、自分という物質がその質量を伴って存在しているだけだというのに・・・実にめんどくさい!

見せかけの自分のメッキが剥がされ、なりの過小評価を余儀なくされたところで、自分の質量に変化はないだろ。

これを、質量保存の法則という(笑)

「己を知る」ということは、何人たりともその感知され得る限りの個人情報を以て規定される虚像から自由であるということである。

ならば、新野 剛志が著書「美しい家」の中で問題にしている「心の重し」というものは、いかほどの質量を有するものなのか。。。

                             二十四節気「啓蟄」によせて・・・

2013.3.05
白い人、黒い人
プロになれ!近頃、とみにそう思う。。。自分自身に対してもだし、身近な大切な人たちに対しても・・・プロになれ!って強く思う。
楽しんだり、遊んだり、その時その時を積み重ねたり・・・素人・・・白い人
しんどいよ、仕事なんだ、持続していく・・・玄人・・・黒い人
幸せが、労働への誇りや悦びからもたらされるものだとしたら・・・プロになれ!
そんな想いを叫んでみたら
      解脱という詩になった!



2013.2.26
公教育の底流
一人の少女が言いました。「ママ、ごめんね。私のココロは今工事中なの。。。」
小学校5年生のこの少女は2学期終盤より登校を渋るようになった。
原因はささいなこと・・・
「先生、男子がボールで遊んでてなあ・・・水筒壊さはってん。。。」
担任の先生は応えました。
「ボンドでくっつけといたらええやん!」
学校現場では普通にある児童と先生とのやり取り。。。

でも、この会話を機に少女は学校へ行けなくなった・・・。

水筒への少女の思い入れ。。。きっと、ママとの大切な何か・・・。
信頼し守ってもらえると思っていた者からの疎外感・・・哀しみ
正義がなされない社会(学校・大人)への憤り、怒り

そんなものが、相まって少女のココロを壊していったのだろう・・・。

3ヶ月余りが経って、少女に診断がくだった。。。
<心身症、ストレスによるじんま疹、睡眠障害>
今もなお、この子はじんま疹による痒みと突発的な発熱に苦しみ、学校には行けていない。

複数の問題事象を抱えてしまうと、学校の指導体制は分担され、チームとしての指導力を十分に発揮できなくなる。よほど、力量のある信頼される教師が問題解決に当たるか、あるいは行政システムの校外援助がうまく機能しないと早期問題解決は難しくなる。

担任教諭の課題
校内指導体制の問題
行政処置のあり方

いずれも、きっちり問われなければならないのだろう。。。

公教育が、本来守り育てるべき責務を負った学校が、子どもを壊してどうするよ!!
壊した子どもを放っておいてどうするよ!!!

早朝に、該当地教委の担当者宛に書簡を送った。。。

その少女をマンションの踊り場から落としてはならない・・。
その少女のきれいな手首を切らしてはならない・・・。

実際現場では、たんなる「登校しぶり傾向あり」の所見で申し送られていくような些細な事象なのだろう。しかし、その事象の中に息づく命を拾わずして何が公教育か?

細やかな配慮の形が整えられていくのはいい。予算が計上され、システムが充実していくことはいい。
だが、それだけではいけない。。。そこに、ココロがあること!

わかってんのか!!!

2まい潮という言葉がある。釣り好きな人なら聞いたことがあるだろう。。。
表面の潮流と底の潮流が異なる潮。。。
素人には釣りにくい状況。。。
でも、その底の流れをよまないとタックルの操作はできないのと似ている。

いくらよいタックルをシステムとして所有していても、機能させられなければ成果は出せないということ。

公教育の課題は今、此処にある。つまるところ、人だ!!!


2013.2.24
メモ帖見出し一覧
携帯電話を今のスマホに機種変更したのは・・・確か去年の夏前だったかな・・・?
しばらくして、スケジュールと連動して「メモ機能」があることに気づいてね。。メモ帳がわりに思いついたことを打ち込んできたのよ。字数制限があるから、詳細を記入するのには若干不便なんだけど・・・それでも重宝できる機能なんよだね。

でもさ、過去メモを見る時、スクロールするのが手間でさ、今日は一旦、見出しだけでもすぐに見られるように整理しとこうと思うのよ!

テーマ一覧
*闇の伴走者  *戒め1〜10  *奈落の深淵   *人間の本質   *三世の祈り

*船頭奇譚    *欲求充足   *感謝の一分   *意味のないことの意味

*自分であることの証明   *イメージトレーニングの2タイプ   *頑張るのexport

*マーベル戦略   *貧富格差の是正   *不自由の中の自由   *満腹中枢刺激

*見据える明日が違っても   *平凡に生きる美しさ   *誤学習   

*僕が泣いているのは   *本質はケースバイケース  *置き換えとすり替えの狭間で

*クオリティーとヒューマニズム   *顔の皺の刻みは心の傷の深さの表れ

*stand alone complex   *明日は明日の風が吹く   *サン・テグジュペリ

*fair is foul n foul is fair   *9回の失敗が1回の成功を支える   

*ただ生きるのではなく、   *狩猟生活からの農業革命と産業革命そしてIT革命

*人間てのは不思議なもんだ   *誰が為に弾丸は放たれるのか?

*ココロを映すもの   *真・善・美   *スレ違いの価値観   *頼られる実感

*にゃんチャンス   *人の心   *求めすぎずの心理   *豊かな実り

*気遣いというもの   *只今、今を生きる   *生は時次第に非ず   

*後になって気づくこと   *何故   *関係保持の3種の神器   *愛情とセックス

*勝敗のない戦い   *心の不治の病になったとしたら   *心境の変化

*セックスは恋を愛に変換する!?   *恋するアッシーくん   *一緒

*無償   *人と神   *存在   *メリオレ   *忍耐神   *二種類の人間像

*意地   *受け止めて   *伝説と存在   *同化と離脱   *悲しみの問題

*幸運を忘れて生まれてきた子   *ダーティーハリーの一晩のお相手

*背を守るもの   *見送るものもまた歩むもの   *邪恋慎むべし

*環境と関係   *ルパン先生の反省   *もらったもの   *人生のリセット

*子どもを作るより友達を作る方が難しい   *一瞬かもしくは永遠か   *毎回新鮮

*驚きとは   *牙と爪   *some like it hot   *ヒューグ:解離性障害

*綿毛羽根虫   *生きる質量   *服を着た猿   *自己ベスト

*考えることと伝えること   *置き換え   *尽きぬ欲求   *ラッキーとハッピー

*自己超越   *幸福は労働と仕事に対する誇りから来る   *遣り甲斐や生き甲斐

*そこにある確かな営み   *今という時   *明日への条件   *オノレヲシル

*no pain no gain   *割り算の余り   *虚しさを知る   *義務と希望

*愛されることと愛すること   *愛情とは   *救世主伝説   *忘れるということ

*光と熱   *まともな頭   *家庭とは   *家族の欠片   *一人で勝手に

*欲望   *タイムラグ   *うちなる光   *道が分かれれば人は別れるもの

*誘惑とチャンス   *二刀流   *愛と欲望   *言って欲しいこと

*それは一瞬にして起こった   *大きな過ち   *人に求める前に   *過去の記録

*とんでもはっぷん   *deep-star   *投げ急ぎ   *体罰考   *老齢力

*節分:鬼やらい   *炎の先端   *立春の唄   *3つの心得

*哀しみは時々ひどく欲望に似ている   *幸せとは   *コーヒーに桜花ひとひら

*U-eye   *春時雨   *価値   *雨水に作られし流れ身を委ね

*偽りの愛はもういらない   *多面体の彼女   *現代という混沌

*言霊   *ジェイルブレイク   *ソトオリヒメ   *責任を伴わない言動

*撤退   *色混ぜ   プロになれ!(1)   *プロになれ!(2)

*一番美しい顔   *与える男と与えない男   *握りつぶすことと守ること

*清楚にして艶やか   *・・・に失敗しても      以上153メモ  2.24。17.26現在

数ヶ月の間に溜まりにたまって・・・たまらなく消化不良どすえ★笑

まあ。。。ドリランドのポイントみたいなもんですわ!!!


2013.216
幸福考
ちょっと、更新の感覚があいてしまいましたねえ。だいたい続けるってこと自体が苦手な自分ですからね。というより、LINEのタイムライン使った方が便利っちゃ便利ですから。
きまぐれ日記には日記としての別の付加価値もあると思って、できるだけ続けなくっちゃな。。。
さて、家庭の話。。。一緒に暮らしていても、それぞれがバラバラに楽しんでるってこと最近じゃ当たり前みたいですね。ゲームにモバイル、付き合う人も共通項がなかったり・・・。それも、楽しむってことでは全然いいんですけどね。
これで、幸せなのかって・・・ふと、自分に返って考えてみた時・・・「わたしの幸せって・・・何?」
なんてふうになりませんか?

興味あることをしたり、遊んだりって、楽しいんだけど・・・その時はね。ストレスも発散されてリフレッシュできていい感じになる。でも、一過性じゃないですか!!!楽しいことがずっと続くわけでもないし、いつまでもその楽しさに満足できるものでもない。しんどくなると、やめたりリセットできたりするものなんだよね。一方で、生活はずっと続いていく。。。
意志を持って、仕事として、幸福を感じるライフワーク・・・大切なんじゃないかな。。。って思いますよ。最近とみにね(笑)
しんどくても、苦痛でも、リセットできない責任がある。。。相手への責任、自分自身への責任。。。相手に対して、自分の意志で決めた役割へのプロ意識とでもいうんですかね。
所謂、遊びではない、本気の行為。。。貫くことで得られる信頼関係に基づいた幸福。
持続可能はライフワーク。。。幸福がさらに大きくなっていくような希望が持てるライフスタイル。。。

自由というのは、遊べるってことじゃないんですよ。。。「しなければならないこと」「したいこと」が分離しているわけではないのです。プロ意識が持てているかってこと。。。
遊び人の金さんはプロなんですよ。。。遊ぶことが目的ではなく、目的のために遊んでいる。

弱い自分と強い自分の表裏一体として安定する自己。剥離すると自分が何なんだか解らなくなってします。太極図の如く、陰陽相まってバランスを保つ。。。

幸福の感じ方、とらえ方は、人それぞれですが、同じ時を同じ空間で共有する機会に恵まれているのであれば・・・バランスを保ち、プロ意識に徹し、持続させていく努力をしていかねばいかんのだ!と強く思いますよ。

相手との関係で自己実現していく基本は「信頼」なんじゃないでしょうかね。。。

信頼し合える関係って、素敵に幸福じゃないですか。。。
2013.2.06
爆音いまだ鳴りやまず
3日前の爆音がまだ耳の奥で共鳴していまっす。。。てか、高めの音がまだ聞こえにくい。。
前の仕事で、ピストル撃ちすぎたってのもあるけど・・・
ん、ちゃいますよ。。。運動会のスターターですやん(笑)

そうそう、愚息翔きちくんが属するロックバンド「Navy Claymore」さんがYoutubeで曲を配信したそうなんで聴いてみました。大阪行ってる彼の情報はブログでキャッチしなしょうがないという、親子関係もいとおかしなんですが・・・。

ん!なかなかいい音質でアップされてるので、安心・・・いやいや、感心しました!

また、聴いてみてくださいね。。。「REDUCTION」・・・減少、削減、縮小とかって意味?

縮小するほど拡大してへんちゅうねん!!(笑)

それでも、インディーズで頑張ってる若者達の姿は愛らしいもんです。。。

一人のロックファン???ロック男!!!として、見守っていってやりたいもんだ。。。

  Youtube [REDUCTION] Navy Claymore
   



 
2013.2.04
立春の雨のしめり
今日は朝からの雨やね。。。穏やかに細やかに降るともなしに空気が湿っている。。。そう。
しっとりと・・・。ね。
昨日は小春日和で、今日が立春だったらとかって感じだったんだけど・・・。そして、夜は京都MOJOでの熱いライブ参戦。。。
翔きちくんの属するNAVY CRAYMORE(ネイビー・クレイモア)さんの京都でのライブってことで、参戦してきましたよお!!
親バカって言うなよな(笑)俺は・・・言うなれば・・・ロック馬鹿!!!・・・です!

3日後の筋肉痛を心配する前に、飛び跳ねて左脚ふくらはぎのヒラメ筋を肉離れしてもおた(泣)
でも、楽しかったっす。若い子らと肩組んで、拳上げて、飛び跳ねて・・・。馬鹿です!
そうそう!今回は酸素ボンベ持参で参戦したんだよ。。。休憩中に酸素吸入。。。馬鹿です!!
次回は、ミネラウォーター1リットル持ってこ。。。      馬鹿です!!!

出演者の皆さんお疲れ様でした。。。特に、宇都宮から遠征して来てはった「アップル斉藤と愉快なヘラクレス」の皆さん・・・めっちゃ盛り上げてくれはって・・・ほんまありがとう!!!

今年もフジロックフェス是非とも出演してくださいね!!!

演奏後、控え室で皆さんぶっ倒れてはったとか・・・。俺と一緒やン(笑)
そらあんなけステージで暴れたら倒れますわ。。。普通・・・。

ん?右肩がちょち痛くなってきた・・・・あらららら・・・筋肉痛???早いやン・・・・。

そうそう、大阪のミナミからAちゃんわざわざネイビー見に足を運んでくれてたんやね。。。
前回の主催で、気に入ってくれたってか・・・ライブが楽しくなったとかって・・・いいね。。。
また、どこかのライブハウスでお会いしましょう!翔きちくん、ちゃんとハートを掴むんだよ!

ということで、今日は二十四節気の一年の始まり・・・

しっとりとスタートする新しい年に・・・ワクワクする気持ちは少し奥の方に留めつつ・・・
しばし・・・余韻を楽しみましょう。。。

              ryo ryo ryo


2013.2.03
鬼やらい
明日は立春。。。24節気の第1節・・・よって、今日は最終節大寒の最終日・・・大晦日なのだ。。。
1年の安寧への感謝と新しい1年への希望を新たにする節目・・・節分
鬼を追い出し、福を招き入れる「鬼は外、福は内」
では、鬼なるものが邪気だとすれば、福なるものは何か????
邪気の対語・・・「無邪気!」   つまり、「あどけない」ということになる。。。
物事に固執し、理屈をこねて、事実から真実を見ようなどと苦悩すること自体、邪気のかたまりなんだよね。。。そこへいくと、あどけない幼児のしぐさは、いかにも愛らしく希望を感じさせてくれるもんだ。。

まあ、関 裕二氏曰く、お伽話や歴史書を読み解くと幼子には鬼の力が宿っているとのことだが・・・。

1年の節目にあたり、自己変革の意思をもう一度新たにしてみるとするか。
そのために、今日はネイビー・クレイモアさんのライブ・・・京都MOJO参戦で弾けてやるじぇ!!

     鬼も、福も、みんなで楽しくやろうじぇ!!!

    縁ありて 義母より届きし恵方巻き より良く生きよと淡く巻かれり (寥々)



2013.2.01
LINE
NAVER JAPANだったかのSNSのLINEてのに招待されてね。。。
アプリをダウンロードしてつながってみたわけよ・・・。
ん!メールやSMSよりも、タイムリーでリアリティあるし、相手が身近に感じられるっちゅうか他愛のないおしゃべりや時間つぶしにはもってこいのアプリだと思うよ。。。
びっくりしたのは、保存されてる連絡先からLINEを使ってる者が自動で友達設定されるシステムになってること!!!進んでるね・・・世の中。。。オートマティックだ(笑)。。。
そして、結構の人が使ってるんやね。まあ、人によって用途はいろいろなんだろうけど・・・
年輩の方からビジネスの方若者達まで、結構広い年代層で使われてるよな。。
絵文字だけじゃなくてスタンプが押せたりして、遊べるっちゅうか、飾れるっちゅうか、心象を工夫して表現できるっちゅうか。。。どうなんだろうね・・・。
別にDISる程のことでもないし、結構便利だし、おもしろいし、・・・・。

でもね・・・。何か満たされないこの感覚って何なんだろうな???
おしゃべりが好きな人にはいいのかな???
自分を発信したい人にはいいのかな???
自分を発信することできっと相手も嬉しく思うに違いないと思える人にはいいのかな???
そんなにこだわらないで軽く付き合う分にはいいのかな???
離れていても此処にいるよって伝え合う分にはいいのかな???

むしろ、俺は・・・。軽い言葉なら届かない方が心地いい輩なのかもしれない。
結構重たい心の本音を瞬時に相手を傷つけないように配慮しながら、やりとりするのは思った以上に困難なことだ!時に、偽りの自分を相手に見せなきゃならない場面だってあるし、その偽りの有り様を相手は確かな者として受け止めることだってある。
お互いに傷つかなくて表面上はいい関係が保てていても、それは誤解という土台の上に築かれた関係なんだよね。。。
瞬時に伝えることが、瞬時に伝え合うことへと発展してきたんだろうな・・・。

飛んでもはっぷん!歩いて10分!メールは一瞬!「大好きだ!」はLINEだとどんな展開になるんだろうな???求め合い、確かめ合う事柄の質量が軽くなってるのかな。。。
存在を確かめ合えないから淋しいんじゃないんだよね。他愛のないことを喋り合ったからといって信頼という安定した心持ちになれるわけでもないんだよ。。。

話してなくても、連絡が取れなくても、祈れる愛があるし、傍に存在を感じていられる愛がある。それは、日常のやりとりの中から生まれることもあるのかもしれないけれど、求めている時に届けられた真心・優しさとか、必要にしている時や思ってもいない時に突然起こった悦びとかの方が大きいんじゃないかな、って思うよ。

ずっと考えてるから、じっくり考えてるから、自分の中で内言化されて、たしかな言霊としての存在へと昇華されていく。その質量を伴った絆が関係のパイプを太くしていくのだろうな。。。

軽く、日常的につながるのはいいと思う。でも、瞬時に内言化し絆を深めるコミュニケーションができるかというと難しい。。。何故って、基本、言葉のコミュニケーションだからだ!!!



2013.2.01
体罰考
昨今のニュースを賑わす、体罰問題・・・いじめ問題と同様にマスメディアに取り上げられると関与する者たちには逃げ込むところもそう多くはないのであろう!

桜ノ宮にせよ、柔道連盟にせよ、指導者が暴力を振るってまで手に入れたかったものは何か???得たかったものは何か???がもっと問われなくてはならないだろう。。。

俺も、教師をしていた頃子どもに対して荒っぽい行為を少なからずしていた。。。「暴力教師」と呼ばれたこともあった。。。そして、「いつでも、腹切ったるわ!」と自分に言い聞かせてきたように思う。何故、俺は指導の名の下に暴力を振るったのか?暴力を振るってまで、手に入れたかったのは何なのか???

2つある。。。1つは、緊急を要する事態の収拾である。考えさせている時間の余裕がない事象も確かにある!刹那に止めなくてはならない状況も現場では出てくるのである。

もう1つは、苛立ちである。。。冷静であれば、方策も講じれるはずなのに、苛立ちがそれをさせずに短絡的に問題解決に急がせる・・・

苛立ちの原因は様々かもしれないが、期待され、成果を求められ、自己の欲求充足の快感が肥大するほど、苛立ちも大きくなる。思い通りにいくことなど、数少ないのが現実なんだからね。。。

ただ、体罰を労してまで結果を追い求める者の特徴は、「カッコつけ」「目立ちたがり」なんじゃないかなと思う。
生徒や選手を主体とするのではなく、生徒や選手を道具として自分の有能性を示したがるタイプ。生徒や選手が力を発揮できないと自分の無能さが暴露される。。。深層心理にあるエゴが「アイ」と相容れない醜悪に感じられる代物。。。

よって、自殺や告発に繋がっていくような気がするんだよね。

体罰は、いいか、悪いか。。。悪いに決まっている。。。
悪いことだってあえてする。。。
ご免で済むかどうかは、生徒や選手がどうとらえ、どう導かれたと感じるかにかかっているのだ!

保身で体罰をするやつも、保身で体罰ができないやつも、たいした違いはない。。。
はなから指導者には向いていないのだ!!!

体罰をしなくても導ける力量と腹をくくって拳を振るう熱さがなくては、生徒や選手の心には響かないのかもしれない。

親父にどつかれて目に☆が飛んだ俺は、俺なりに自分のしたことを反省した!!

40年余りの時を経て、その親父の拳を温かいと感じることができる。

それは、虐待の拳とは違う!!温かな「アイ」をその拳が握りしめていたからだ。。。

握った拳にはアイを握れ! 開いた掌なら顔を叩かずに、頭を撫でてやれ!!



2013.1.30
とんでもはっぷん!

伊坂幸太郎の「残り全部バケーション」という単行本をかみさんが貸してくれた。
よほど、暇そうに見えたのか・・・活字に飢えているように思ったのか・・・特に意味はないのかのどれかだろう。。。
その話の中に「溝口」なる男が登場してくる。。。当たり屋・運び屋などの裏の汚れ仕事を生業としているろくでもないおっさん!とはいえ、俺より若い設定なんだけどね。俺はもっとおっさんなのか???

でな、その溝口があり得ない状況を「とんでもはっぷん!」と言うわけよ。
「飛んでも8分。歩いて10分。」てなふうにね。。。
そういや、随分前にそんなこと言ってたりもしたかも・・・的な記憶があるやなしや。

そんでね、その溝口が相棒の若くて頭の良い高田ってのとそのことについて論争する場面があるのよ。
「飛んで8分で歩いて10分なら、大差ないからどっちでも同じだろ。」ってのが、高田の言い分。
「同じじゃねえ!飛べるなら飛ぶだろ!」ってのが、溝口の言い分。
溝口は理屈をこねる。。。
最近は、メールで「大好きだ!」なんて伝えるみたいだが、一瞬だな、と。
「飛んでも8分。歩いて10分。メールは一瞬。」:これは名言だ!!(俺)
「大好き!」を伝えられるのに、メールより歩いて家まで来て伝えられる方が嬉しいだろうし、ましてや、飛んで来てくれたら、もう付き合うしかないだろ!ってのが溝口の持論だ。。

高田は納得できないが、その違いを生き方の違いだと主張する溝口。。。

高田は、あんたに生き方を説かれたくないと訝るのだが・・・。

どうせ、みんな死ぬのだからどう生きても同じだと考えるよりも、飛んでみよう!って生きる方がおもしれえじゃねえか。という溝口は随分前向きである。

どうせなら、飛んでみてえよな。。。せっかく生きてんだからな。。。って、俺も思う。


        飛んでも8分。歩いて10分。メールは一瞬。。。か。

 NEVER HAPPEN  ありえないこと・・・・が・・・なんでこうなるのかね。

伊坂さんよお。

やっぱ、あんた。。。天才だわ。。。
2013.1.29
物の価ヒメ
とんでもはっぷん!(残り全部バケーション:溝口)・・・ありえな〜い!(おねえキャラ)・・・
ありえないわ(葛城ミサト)
NEVER HAPPEN だったりHARD TO HAPPENだったりするのかな??
これの人生訓はまた今度にしてっと(笑)

今一番売れてるヴィジュアル系バンドって知ってるう????名前はもちろん知ってる筈なんだけど、彼らをヴィジュアル系バンドとして知ってるかって言われると・・・???かな。。

そうです。ゴールデンボンバー。。。。

日本で一番売れてるバンドがエアバンドって笑えるね!ってテレビのバラエティーで言ってたよ・・・・笑えねえ!!!!!

特に、バンドに命かけてますってドラム叩いてる長男坊の翔きちくんなんか、切腹しかないね。。。。彼曰く、かつて、大阪西九条BRANDNEWってライブハウスでゴールデンボンバーがライブしてて、その最中に客席フロアでキャベツ千切りにするパフォーマンスをしたとか!!!ふつう、バンドマンはライブでキャベツ切りませんから・・・・。店員のAYAKO様にきつくお叱りを受けたそうです。。。。

しかーし、武道館、アリーナ、大阪城ホールを舞台にライブをするなんて、その頃誰が予想したでしょうか?

半端なくおもろいことヤルやつは、世に出ていくということですな。。。温かく受け止めていってしまうみんなも凄いと思います。。モモクロZとよく似た感じですかね。。。
妙に素人っぽくて、でも、元気や熱っぽさがあってね。。。
見て、聞いて、踊って、・・・元気になれる!!!

流行るものには流行る価値があるんですよ。。。

ということで、俺プリウスを乗り換えました・・・今日・・・プリウスに。。。(笑)

しかも、同じ黒です・・・マイナーチェンジとワングレードアップしてますが、
少し離れてみると・・・・同じです。

プリウスがいっぱい走っているのも、プリウスの価値です。。。

大勢に受け入れられたからといって、俗っぽいからといって、その価値が今という時代に薄れることはありません。

しかすがに・・・・俺はマイナーなんが好きです!

希少種に憧れます。。。

そして・・・俺自身が希少種になりたがっています。。。

ゆえに、大衆化された物の中に同化し、生きているのです。

希少種が希少種ばかりで集まるところを想像してみると・・・やっぱり気持ち悪い感じがします。大衆の中に紛れてこその希少種なんです。

んなわけねえか!!!!




2013.1.29
不為即是為也
したいこともあればしたくないこともある。。。
通常時、したいことは楽しいこと、楽なこと、意味のあること、ためになること・・・・
     したくないことは、悲しいこと、辛いこと、しんどいこと、痛いこと、無意味なこと・・・・
と、同様にされたいこと、されたくないことも存在する。

人間関係において、それは自分にだけある感情ではなく、相手にとっても固有のそれらの感情が存在していることに気を止めなくてはならない。

自分がしたいことが、相手にとってされたいことならまず問題ないね。。。
自分がされたいことが、相手のしたいことであれば、とても有り難いね。。。

もし、自分のしたいことが相手のされたくないことなら・・・あなたは、どうしますか?
我慢しますか?あきらめますか?疑似行為を模索しますか?やっちゃいますか?

もし、あなたがされたくないことが相手のしたいことだったら・・・あなたは、どうしますか?
我慢しますか?あきらめますか?やられちゃいますか?許しますか?


コミュニケーション・ミーティング・ヘルプ・ラブ・セックス・ライフ・ダイ・・・・
多様な状況で流動し合うエゴとエゴの粒子。。。

為されないことが自然なことである場合もあるだろうし、為さないことが安定を生むこともある。
時として、為さないことは「為さないことを為している」という積極的な存在のあり方であるのだ!

我慢やあきらめといったどちらかといえばネガティブなものではなく、エゴを支配し操作する大きな理に基づいた主体的な行為・・・・それが、不為即是為也なのだ。。。

古今東西、人間はエゴの暴走によって、多くの行為をし過ぎてしまうようだ。。。


2013.1.27
オートマチックな人生
エゴにコーティングしてきた人生・・・そのコーティングの純度を高めることで快感を得てきた人生。。。
状況に応じて心はシフトし、理論と感性でミッションを乗りこなしてきた。アクセル・ブレーキング・ハンドリングの操作技術も未熟なまま、エンジンのメンテナンスも不十分なまま、人生の緩やかな道を走ってきた。タイヤの摩耗にも気づかなかったのかもしれないし、サスペンションの不具合も放置したまま走ってきたのかもしれない。

そこそこに、速かった。。。それなりの賞賛が快感だった。・・・満足してたか?
否!嫌ではなかったが、満ち足りたものではなかった・・・。心のどこかに渇きがあったに違いない。

ミッションを乗りこなす人生は、アクティブでとても熱い!だが、強い意志と修練の末に高度な技能を獲得したものだけが、走りきることができるのだと思う。

アイを自分の核とした生き方は、オートマチックのようなものなのかもしれない。3日前に気づき、2日前に乗り換えた俺にはまだよくわからないのだけれど・・・。

「のこり全部バケーション」 伊坂 幸太郎
・・・・・「これ、オートマだから簡単」
    「レバーをドライブに入れておけば、勝手に前に進むから」
    「・・・・気負わなくたって、勝手に前に進むんだよ。」

  そうかなあ、とわたしは答えながらも、自分の身体についているはずの、見えないレバー をドライブに入れてみる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 競うではなく、在るを感じる人生とは、心のレバーをドライブ(アイ)に入れたところから、勝手に前に進み出すものなのかもしれないな。。。

2013.1.26
過去の記録
過去から逃げては行けない。
全ては過去から始まっているのだから・・・。

その記録  思い出
そこに息づく人、自分

共にあったことに感謝し、また記録に留めよう
新しい自分の記録として・・・。

過去に今を重ね、その今も過去となって未来が重なる。

そして、その記録は生きた証となって胸に刻まれていくのだ。

ありがとう!大いなるひとよ

私も負けずに見つめよう

今を重ね続けるあなたの姿を

2013.1.25
大きな過ち
昨日、俺は泣いた。。。夕闇の郊外のホールの駐車場・・・車の中で思いきり俺は泣いた。
声にはならない嗚咽が喉の奥から耳に届く。溢れ出す涙は頬を伝い、思いのほか熱かった。
淋しさの涙とも悔し涙とも違うその涙は・・・懺悔の涙だ!

俺は偽善者やった。。。薄々は感じていたのかもしれへん・・・偽善者が何たるかもよくわからへんかったし、何となく嫌なやつで蔑むべき者ども的な感覚しかなかったんやけどね。自分自身の有り様に違和感はあったわけよ。

胸の奥の方に欲望と支配欲求が満たされることで快感を得られる核がある。その核を包み隠すように、優しさや似非の愛でコーティングしている。人生を生きていくとその年月がこの甘く美味なコーティングを厚くし、他者にとってより美味しいものへと進化させていく。
様々な事象はこのコーティングで対処され、核となる部分はさらけ出されることなく自他共に認識できないレベルで結果的に充足されてきていた。

俺は気づいてしまったんや!このコーティングがメッキのように剥がれ落ちて、欲望と支配欲求丸出しの自分自身の有り様に。。。

欲望や支配からの脱却!個の尊厳!自由の受託!何人たりとも、個人が個人の自由意思で平和に行動することを阻害することは出来ない!という、生存の根本理念・・・
弱肉強食もまたその範疇で自然なこととして行われている。

だが、人の世に於いては森羅万象・宇宙の理とは異なる次元で支配欲求の充足が行われている。陵辱、搾取・・・他者を犠牲にした上に成り立つ欲求の充足。。。抗う・・・違う!と声にする。・・・・はずだった・・・抗っていた。声にしていた・・・はずだった。

だが、自分自身が望んでいたのは支配欲求の充足だったのだ。

欲望や支配欲求は荒ぶるもの・・・よってその代価として報酬が用意される。支配される者と支配されてあげる者との価値交換・・・これが金銭授受のルール。ビジネスであろうがなかろうが、人間社会が生み出してきた価値交換のルールである。

では、無償の場合はどうなのか?無償で欲望が満たされるとすれば、満たしてあげた者が意に反した場合は陵辱されたことになる。無償と等価交換できるものは「愛」しかない。
そこに違和感や苦痛を感じるならば、それは「似非愛」つまるところ優しさのコーティングでしかない。そして、人はそれを優しさとは呼ばない。。。

    恋心失うなどと言ふ者が歌作るなと叱りたまいき  (岩田 晋次 翁)

恋の行方は何処なのでせうか?

愛はゆったりと熟成し、心は穏やかなのでしょうか?

欲望は生々しく荒ぶって猛りますか?

欲望の果てにあるのは破綻。。。
愛ならば友愛・慈愛へと繋がりその輪を閉じる。

恋心はどちらの道を行くのでしょうか?欲望・邪心・欺瞞・疑念・・・浮かび来る都度に断ち切る痛みと戦いながら。。。その痛みは半端なものではないことを知る。されど、破綻により大切な人を失うことの痛みに比べればと、人は耐えるのだ!

恋した人のあるがままを、その全てを存在として受け入れたのならば、想いが成熟するまで耐えるしかないのだと、過ちは二度と繰り返さないと・・・それが俺の生きる証だと!
でも、慈悲があるなら少しはこの胸の痛みを和らげてくれ!!と祈りながら。。。

だが、そうじゃなかったんや!
それは、一瞬にして起こった!相手を受け入れ信じることが出来た瞬間、全ての痛みや邪心が一瞬にして消え去り、安堵を手に入れることが出来た。

きっと俺は、相手に「片想い」ばかりさせてきたのだろう。。。その意味がわからずに・・・
そして、その「片想い」には有効期限があるのだろうか・・・

だが、そうじゃなかったんや!
その相手が大切な者であるにもかかわらず、大切にできてなかったからこそ相手は「抗い」その抗いに気づかぬバカは理屈ばかりこねて拗ねる!大バカ者の偽善者の顔。。。

対象をあるがままに愛でることが何故できなかったのかと・・・・
その頑張りに寄り添い、勇気づける言葉かけが何故できなかったのかと・・・・

欲望や支配欲求は自分のこと。。。
愛は相手にとってのこと。。。

自然と愛することが。。。

なんで、できひんかってんやろな・・・・・・・・・・・・。




2013.1.23
二刀流
ちょち、使いようによってはサプライズな感じにもなるんですけど・・・(笑)
武蔵の話でも、性癖の話でもありましぇん。。。
数年前、某市教育部長のN氏が、社会教育部門の会議で市の財政にふれて
「あれもこれもではなく、あれかこれかをせまられる財政の状況です。。。」と述べられていた。行政において、そうなのだから、我々の日常生活が「選ぶ=捨てる」の選択を迫られていることは容易に想像できる。まあ、まだまだ無駄遣いや大人買いなんかもあるのだろうけれど、時代は選択という実に緊迫した緊張感やプレッシャーを無作為に与えているように思う。てか、俺は与えられてるように感じる。ゆえに、選択肢が少し多いだけでどことなく安心するじゃないですか。そこにつけ込む輩もいたりしてね・・・。

そうじゃなくて、捨てない選択が新しい時代を切り開くんじゃないかって話なんですよ!

「あれかこれか」の時代にあって、「あれとこれを」の選択は実におもしろい視点じゃないですか。年末の大掃除で、不要な服を整理しました。。。長年着ていない服がたくさんあって、もう着ないよね。。。ありがとう!って整理した。そして、「これとこれは」置いておこうとかって結構日常でもありますよね。

「あれもこれも」といった欲張りな選択ではない。「これとこれ」という具体的な対象と目的!
さらに、具体的な見通しを伴う目標と意思と努力!

結果はどうあれ、選んで捨てない生き方が時代の閉塞感を打ち破るのかもしれない・・・。

大谷翔平くん  花巻東高〜日本ハム  の今後の健闘に期待しますよ。


2013.1.22
朽ち木の如く
      
      まばらにぞ 朽ちて花咲く 山桜    (寥々)

10年ほど前からかな・・・美容や健康産業でしきりとアンチエイジングが唱えられ出したよね。テレビ番組では「魔女婆」が生活年齢よりもうんと若く見えて持て囃されたり、体年齢を若返らせましょう!ってサプリメントが開発・販売されたりとえらい勢いをつけたもんです。。。
俺も、若い頃にクーパー博士のエアロビック理論に嵌ってたことがあって、有酸素運動や活性酸素のことはなりに知ってたし、退職後も運動・リラクゼーション・サプリメントの3つを柱にこのレイチェルも立ち上げたんですけどね。。。
 ここんとこ思うんですよね・・・。俺が年をくってきたってこともあるんだろうけど・・・。あら、認識してるのね!(笑)
 年老いていくって素敵じゃないかって・・・。加齢に抗うライフスタイルもいいんですけど、自然と年老いていくって美しいじゃないですか!
 俺の祖母のフサノさんは72歳で逝去したんですが、腰が曲がって背骨が地面と平行になっててね。それでも、畑で草を掻いてた姿を思い出します。頭は真っ白で、顔もシワシワ・・おっぱいも(笑)俺は、乳離れが遅くてね。。。ばあちゃんのおっぱいを母に隠れて吸ってた覚えがありますが。現在じゃ、72歳の方ってまだそれほど老けておられない方が多いじゃないですか。女性も若い頃からお肌の手入れに馴染んでいるし、男性も中年を過ぎると若さ・元気さの意地に意欲的になる。結果、なかなか見栄えの良いお年寄りが誕生してくるという流れ。厚生労働省は嬉しいでしょうよ!まあ、平均寿命はやや短くなってきてるみたいですが・・・。
 問題は、心の加齢と世間の美意識なんですよ!子どもみたいなお年寄りって素敵ですよ!でも、それは人生の何たるかを知ってなお、屈託のない笑顔を向けられる人。。。
心の加齢なくして、無邪気に日和られた日にゃ〜あなた・・・ただの馬鹿ですやん。。。
 たぶん、俺はこのての老人になりそうやな。。。気をつけよ!!

 城陽東部のもとは山裾の畑道の脇に山桜の老木があります。親父が山から若木を移植した桜の木です。近年、だんだんと朽ちてきて、つける蕾もまばらとなってきました。以前はそれは見事な桜花乱舞でしたがね。。。

 「俺は、山桜みたい人の目には触れなくてもひっそりと美しく生きたい。」と親父は母に言ったとか・・・。十分過ぎるくらい目立って死んでいったんですけど・・・なにか。。。

その木が語ってくれる。。。老いるとはなんと素晴らしきことかな!

俺も、がんばって老いよう!!
  
2013.1.22
Time is money
「時は金なり」ということわざが、中一の国語の問題集に出題されていたんだけど。。。
光陰矢の如し・・・金色に輝く矢が左枠上方から右下へと過ぎていくイメージ・・・GODか?
とにかく、時間はお金と同じように大切なものだから、無駄にしないように!というくらいの意味だろう。中二の女の子になかなか理解してもらえなかったのは、俺の教授能力のなさですな・・・トホホ。。。
でだ、今回は多忙で時間のない彼女と時間は持て余しているが金のない彼氏とのお話。。
 仕事に追われ、ノルマをこなすことで精一杯の彼女。。。たまには、一息ついて自分の時間を持ちたいと思っているのだが、なかなかそうもいかない。自分と向き合う暇さえ見つけだせずにいる日常。。。やり遂げたいという意思と仕事をこなしている時の充実感が彼女を支えている。時には放り投げたくなる人間関係とも付き合っていかなくてはならないストレスを抱えつつ・・・顔は笑っていなくてはならない。
 一方、形式だけの仕事に実入りはなく、生活費を入れるだけで手一杯の彼氏・・・。ある程度の能力は持ち備えているのだが、あいにくとその能力を発揮する環境と営業能力に恵まれていない。ゆえに、基本・・・金欠。。。価値を物質に求めず、抽象的な事象をこよなく愛するという癖を持つ男だ。金欠という不自由を抱えながら、自由な時間を持て余すという始末に負えない輩である。
 まるで、異なる次元に生きつつも、同じ時代に同じ空間を共有するという奇跡。。。
この奇跡を俺は「時は金なり」と呼ぼう!


2013.1.21
誘惑とチャンス
そういや・・・昨日は大寒だったんだよね。
二十四節気の最後の節か。。。立春からスタートすると一年の最終節ということだね。
ていうか、一年のスタートっていろいろあるよね。
一般的には元旦だけど、それも昔は違った日だったようだし。
年度の始まりは4月1日だったり、外国では9月から新学期が始まるところもあるしね。
一体どこから、心機一転「さあ、がんばるぞ!」って思っていいのやら迷っちゃうね。。。
まあ、俺は今年は2月4日の午前1時をもって、新しい一年のスタートとしようと思っているんだけどね。
ん、わりとこの二十四節気って気に入ってるンよね!単純に1年を割ってみても、
   365日÷24節=15.208333くらい
これって、パチスロ収支をまとめていくのにいいスパンなんだわ!!!
昨年は、毎月15日をスタートに前節、1日から14日までを後節として、月毎の収支をまとめてたんだけど、春夏秋冬や天の赤道と黄道の角度的視点をふくめてみると、なるほど、二十四節気にそって収支をまとめてみるのもありかなって・・・。どうでもいいことなんだけどね。
まあ、パチンコやスロットが単なる娯楽や博打ではなくて、ホールを祈りの場、修行の場としての娯楽ととらえてもらえる人には、「わかってもらえるさ!」  ヒロシ・ヤング 大崎一万発(笑)
このホールのお話?新台入れ替えが期間狭しと怒濤の如く押し寄せてくる昨今です。
パチもスロも多種多様なスペックや演出の台がどんどん導入されてきてます。
パチスロライターでもない限り、新台のスペックを完全に把握して実戦することは難しいですね。
そして、悲しいかな・・・やはり、新台に目が行ってしまう・・・。  誘惑です!!
「ちょっとだけ、回してみようかな・・・。」と思ってしまうのです。 誘惑です!!
「もうちょっと・・・回さないと・・・解らないよね・・・。」        誘惑です!!

そうこうしている間に、あちゃ!さっきのところが、絶対的なチャンスだったんだ!!!!
と、チャンスを逃してから気づいたりする。。。

俺の日常です。それで、収支が+になってるのが不思議です。。。

もってるんです・・・引きを(笑)  引いてるんです・・・血を(親父ゆずり)

先日、ケーブルテレビAXNの[CSI N.Y]だったかで、こんな台詞がありました。

「誘惑は何度もドアベルを鳴らし続ける。だが、チャンスは一度しかドアをノックしない!」

胸に刻みますよ!俺は!!

大寒の最終節・・・懐が大寒にならないように気をつけなきゃね。。。


2013.1.20
しかすがに
「しかすがに、ってどんな意味や?」
久しぶりに手押し車を頼りに訪ねてきた母と短歌の話をしている時に、彼女が聞いてきた。
「しかすがに??」
聞き慣れない言葉だ。どうやら、短歌の会関係で添削とやらをして下さる先生の歌集に「しかすがに」という書名のものがあるらしい。
4年ほど前に出版されていて、一通り読んでからのこの疑問は如何なものか(笑)
さすが、俺の母上でごじゃる。。。
この先生の名前を岩田晋次先生という。

「しかす・・・然す」・・・それはそうだ
「がに」・・・・・・・・・・・だがしかし、けれども

「しかすがに」・・・・・・それはそうだが、しかし     そうなんだけど、でもね

とかって感じかな???

実は、母よりこの先生の歌集を借りて読ませてもらっているところなのだが、おもしろい。
掲載されている短歌は平成13年より19年までに作られたもので、岩田氏(以下翁と呼ばせて頂く)が齢64歳からの作品である。
年老いていく翁の目線で、日常が非日常としての光を放つ!!!
この翁・・・なかなかの変人ぶりだな。(失礼)

     思い出すときをしきりに母恋し実母よ養母よ作歌の母よ

この歌だけからでも、翁の人生が垣間見える。

     恋ごころ失うなどと言う者が歌作るなと叱りたまひき

叱られたのは翁・・・叱ったのは翁の作歌の厳父田中順二氏か慈母高折妙子氏かどちらかであろう。

追憶抄の中に載せられた10首の歌の中で、異彩を放つ一首を記す。

     六月の雨を受けむと天を向き泰山木の白き花咲く

「しかすがに」・・・肯定してからの・・・・逆接   
「しかすがに」・・・爽快な音感
「しかすがに」・・・ちょっと 天の邪鬼

なんか、ぴったり来るんだよな!!!俺!

岩田翁の短歌話  今日はここまで・・・。

ていうか、その意味は最後の解説に書かれていますやん!母上。。。

さすが、俺の母ですな(笑)

2013.1.17
天平のクーデター
今日はちょいと古代史のお話。古代話(こだいばな)「だ」を抜いたら、無だに「こいばな」だから笑えるかも。。。
いつの世も、政とて色・恋と無縁ではないのだ。。。
8世紀の日本はもちろん奈良時代です。乙巳の変:大化改新以降、天智天皇と藤原鎌足ー不比等の推進する律令制に基づき中央集権国家の国作りが進められていったらしい。壬申の乱によって天武天皇が政権を奪い取るものの、天智系及び藤原貴族の支配は奈良時代へと繋がっていく。
このころ登場する人物に橘奈良麻呂という人がいる。橘諸兄の子どもである。祖父は敏達天皇系の美努王という。この美努王には、県犬養三千代という妻がおり奈良麻呂の諸兄が15〜16歳の頃に離婚しているらしい。文武天皇4年(700年)以前の離婚というわけであるから、俺が知りうる離婚の最も古い事例ですな。別れた元妻三千代は藤原不比等の後妻に入り、あの光明子を生むわけです。光明子は聖武天皇の嫁さんですね。
橘諸兄にしてみれば、皇后と異父兄妹となったわけなので、出世にメリットはあったんでしょうが、藤原氏系にしてみれば不比等の子や孫を政界の上位に占めたい。。。天平9年の天然痘の流行(長屋王の祟り!?)により、政界の藤原氏が次々となくなったこともあり、橘諸兄が出世する。諸兄は不比等の政治を変革していく。。。それを、よしとしない藤原氏。。。
諸兄には、母(三千代)を巡っての不比等への恨みもあったのだろうか・・・それを、受けた奈良麻呂と不比等の孫にあたる藤原仲麻呂との間で確執が起こる。光明子と仲麻呂のタッグvs奈良麻呂・・・奈良麻呂のクーデターは事前に察知され、失敗に終わる。もちろんクーデターに関係した諸氏一族は死罪か流刑に処されたわけである。

このどこに、「こいばな」があるのか?
県犬養三千代(美努王の元妻・不比等の後妻)・・・光明子(聖武天皇の妻)・・・孝謙上皇(独身・・・仲麻呂や道鏡との噂あり)この三人の女傑は、天平という時代を見るに大いなる存在である。

東大寺建立の舞台裏で、どんな人間関係がくり広げられていたのだろうか・・・。

数多の庶民と天皇・貴族・・・身分の違いは大きくあったとて、人を想う感情にそう違いはなかったのではないかとも思う。得てして、藤原氏を巡っての時代解釈がされる時代ではあるが、個々の想いに目を向けると利を越えた真実があるのではないかとも思う。

誰が、誰を大切に想い、愛憎が時代の何を動かしていったのか・・・という視点で古代史を見てみるのもおもしろいもんだ。。。

2013.1.15
タイムラグ
現代という時代の切り口として、とてもとても早く過ぎていく時間が上げられる。
時間が早く流れてしまって人々に「ため」がなくなり、欲望を育てる時間が失われたとも言われる。欲しい物は手にはいるから、それほど欲しい物ではなくなってしまう。昨日、タカvsトシのカエレマテンが放映されていたが、次々と食べ物が置かれると、出演者は食滞気味になる。実に辛そうである。

このような側面が人間関係の渇きとあいまって、生きるエンジンとしての欲望を減退させているのが日本の実情かも知れない。

成人の日だった昨日、川に入って空手の稽古をしている某道場の若者にインタビューをするニュース映像が流された。
「寒いですけど、気持ちがいいです!若者の力で日本を元気にしていきたいです!」
素晴らしいコメントやん。。。それだけ、若者の目から見ても今の日本は元気がなさげ。。。なわけなんや!

別のチャンネルは、成人式に集う若者へのインタビュー。。。やんちゃそうな若い兄ちゃんが
「選挙に行けることが一番うれしいっすね〜!」っておっしゃっていましたよ。
政治を変えたいらしい。   すばらしいやん。。。 

いずれにしても、今の日本の現状を良い状態だとは思っていないのですよ。

生きる上で「ため」のないことも、ものごとが表面上はわりと容易に解決していくことも、人間関係が渇いて感じられることも、決してトレンドなものとは思っていない。

社会のあり方として仕組まれ、もはや仕組んだ者たちにも止められない様相を醸し出している現代社会が、自然なものと同化して、あたかも人間の企てではないかのような顔をしている。そう錯覚している社会の中で、若者たちは飲み込まれまいともがきながら飲み込まれていく。。。

新しい視点が必要である。「ため」のない直球は「ぼうだま」になってしまう。此処という時のストレートに必要なものは「ため」であり、「ため」を生み出すタイムラグではないか。。。

何がしたいのか?
どうなりたいのか?
何を手に入れたいのか?


だれの「ため」に
なんの「ため」に
その「ため」に

どうする・・・・?

一度まともな頭で考えてみるといい。

20013.1.14
正しい場所・時間
何が幸せで、何が不幸かを端的に言い当てることは難しいものですね。幸せだと感じている時に不幸が忍び寄っていたり、不幸だと思った時が幸せの前兆であったりするのですから。
ぬか喜びせずに、また必要以上に落ち込まないで、心をフラットに保って生活するって大切だと思いますよ。

石田衣良 著 「夜の桃」 の中に 雅人という40歳だったかのネット広告会社の社長の中年男性が登場します。
ある男性雑誌の取材に応じて、彼は成功の秘訣を聴かれ、
「特にありません。いるべき場所に、いるべき時間にいたということ。ただそれだけです。」
と応える場面がある。

仕事や日常生活で、思ったり感じたり考えたりすることは数知れずあるが、そのほとんどが対象となる物事や人に対してのことであり、たまに、自分自身を対象として思いを巡らしたりしているのではないかなと思う。

運命だからと片づけてしまうのもすっきりしていいのだが、その運命は自分がいるべき場所にいるべき時間にいた結果に生じたものなのかどうかを検証してみる必要はある。

結果論といえばそういうことかもしれない。成功すれば、正しい場所と時間を選択したことになるのかもしれないし、運がイレギュラーに作用して、そうではない場所や時間を正しいものにしてしまうのかもしれない。

だが、困難や問題に直面していることがあるならば、また判断に苦しむ時が今ならば、いるべき場所やいるべき時間を考えてみるといい。なんとなくであったり、勘のようなものであってもかまわないし、もう少し分析的な根拠に基づくものであってもいい。とりあえずは、対象となる事象とは違った座標の上で、場所や時間を問うてみる事は大切である。

そして、重ね合わせて見た時に問題を解決するための条件が、わかってくることもあるのではないか。。。

成功することに興味はないし、不幸であることを恐れたりもしない。しかし、一人ひとりにとって、いるべき場所やいるべき時間はもっと大切にしなくてはならないことなんだろう。

その時間にその場所にいくことが可能であるならば、考えてみようじゃないか!


2013.1.12
埋火(うずみび)
物事を理屈で割り切ろうとしても、割り切れないあまり・・・。ときには、淋しさや虚しさとして感じられたり、嫉妬のような感情として認識されたりすることもある。

恩田 陸 著 「木洩れ日に泳ぐ魚」 なかなかいい題だ!魚の視点になると、キラキラする緑の光・・・希望や幸福に導いてくれる、または照らしてくれる、またはそれ自体の象徴としての光に・・・・光に・・・手が届かない! 近づくと見えなくなり、はなれていても手に入れられない光を見つめる。

話の中にこんなふうな引用があった。ある恋人たちの別れの場面のこと。

「本当は私カレーが好きじゃなかったの。」
彼女が言う。
「えっ!?初めて一緒にカレーを食べた時、君はカレーが好きだって言ったじゃないか。」
彼は以後、彼女をいろんなカレー店に誘い、彼女は彼と一緒にいろんなカレーを食べ歩いた。

カレーが原因で別れ話になったわけでは無かろうが、別離の際のこの一言は厳しい!

何故、彼女は「カレーが好き。。。」といったのだろう?

もちろん、それは、カレー好きの彼に好かれたいという気持ちから、話を合わせたわけ。。

実は、彼女は彼のことが好き(恋)だったわけではないのだ。自分を好きでいてくれる彼が好き(恋)だったわけだ。

幼い恋愛は、たいていここから出発し、出会いや別れを通じて質的な変化を生み出し成熟していく。やがて、自分のことをどう思っていようが、その相手を好きでいられるような対象に巡り会えたら、幸か不幸か、一定の黄昏を享受できるようになる。(まあ、こうなるとたいていの人があぐらをかいて自分を磨かなくなるのだろうから、両刃の剣なんだけど・・・)

  あなたは、誰かを愛したことある?

  その愛は、彼に対してのもの? 自分を愛してくれる彼に対してのもの?
  それとも、あなたを彼が愛してくれる、そのこと?

 その愛が彼自身に向けられたものであれば、それはやがて同志愛、友愛、慈愛へと成熟していき、良好?な関係は保たれていく。多くの先人たちがそうしてきたように・・・。
 しかし、そうでなければ、あるのは破滅、別離。。。
 そして、それが今日的な恋愛感情の質だとも言えるのではないか。

恋愛感情や人間関係を分析したり、仕分けしたりする必要はないし、体系かしたり哲学に高めたりすることにそれほど意味があるとも思わない。

 でもね、わかるところをわかっておくことで、埋火の如くに燻った感情(あまりの欠片)を自分の体内に吸収し、同化させていくことが出来ると思う。

 朝の陽光に、昼の日差しに、黄昏の光に、対峙することができる自分はなかなかいいんじゃないかな。。。

2013.1.11
猿の悲しみ その2
居間の書棚でやけに存在感を持つ「猿の悲しみ」の背表紙にしばしば目がいく。
その「猿の悲しみ」は明朝体のフォントで描かれているので、実はかなり賢そうなのだ。
ふと、考えた。悲しみを抱えているこの猿は、実はとても賢いのではないか。(人間よりも)
にもかかわらず、人間に気を遣ったり好かれようとして、猿回しや反省のポーズをしたり、犬とお使いに出かけたりしているのではないかと・・・。
かなりの、歌舞伎者の猿である。猿の中の猿かもしれない。
かりにそうだとすれば、その猿に敬意を持って接することの出来ない人間はまさに愚か者になる。

猿にかかわらず人間同士であっても、素敵な人というのは愚者を演じる賢者に対して敬意をもって接するし、賢者のフリをする愚か者に対して寛容である。
世の中そんな素敵な人ばかりだと苦労もないのだろうが、演じ上手も多くはいないのかもしれない。いくら素敵な人でも、下手なお芝居ばかり見ているのもつまらないのだろう。

人であれ、猿であれ、本能的な愛情が生きる支えになっているのだと思う。そして、欲望が生きるエネルギーになっているに違いない。まあ、飲む・打つ・買うの三拍子揃った猿はなかなかお目にかからないし、金銭欲にとりつかれた猿というのも想像すると笑えるのだが・・
権力闘争はなかなかのものであろう。猿にも地位や名誉欲というのはあるんじゃないかな。

俺は、この欲望というものから距離をおくことに努めてきた。努めてきたことと達成できたことには大きな隔たりがあるが、それでも、そのことが自分を磨き高める手だてになると考えてきた。どんな状況であれ、欲を捨て去ればあるがままの自分でいられるのではないかと・・・
「役立たずでいなさい。役に立つ木は切られて加工されてしまいます。」的な発想も気に入っていた。しかし、生きる支えが十分であっても、生きるエネルギー無くして、人は幸福に生きられるのだろうか?今幸福であると感じている自分は、身近に欲望の達成を置いていはしないか。
欲望の是非を考えているわけではない。愛情は車輪で、欲望はエンジンだとすると、ステアリングは一体なんだろうね?あれ、欲望はガソリンとか電気とかになるんかな?

じゃ、また。

2013.1.09
鬼さんこちら・・・
昨年の暮れにdirengreyが「輪郭」というnewsingleを発表した。
歌詞の最後が、
鬼さんこちら手の鳴る方へ 鬼を捕まえ私と変わ・・・
となっている。
dirのvo.京 氏 は 随分昔・・・かれこれ10年くらい前になるだろうか?もっと前か?「KR」という楽曲の歌い出しを
鬼さんこちら手の鳴る方へ・・・・・
で始めている。

そもそも、鬼さんこちら手の鳴る方へ・・・という遊びはいつ頃流行ったのであろうか?
鬼は目隠しをして(されて)、拍手で囃される方に追いかけていくのであろう。
行く手には、障害物やら落とし穴やらがあって、そうそう容易にはお目当ての者を捕まえることが出来ないのではなかろうか・・・

子どもの遊びから始まったのか、お座敷遊びから始まったのか・・・由来や起源は知らないが、どこか理不尽で不気味な遊びではある。

鬼は何故追いかけることを強いられ、捕まえられる役は逃げるとも誘うとも分からぬ役回りを演じる。

両者の間にどのような約束が取り決められ、どのような終焉を迎えるのか?

遊びの歌は時を越え、深き淵を垣間見る者の声となって再び響く。。。

   夢から 夢から覚めたこの世界では 思い出さえ夢となり

2013.1.09
砂の一粒
あなたは、眠れずに凍り付いたことがありますか?
こんな俺のきまぐれ日記を読んでいるくらいですから、たぶんないでしょう!?(笑)
俺もありません。。。それは、幸せに生きてこられたからに違いないのでしょうね。
そうそう、時々ね・・・現代人と古人との違いを考えたりするわけですよ。正確には、若者と俺との違いかも知れませんが。。。

昔の人は、日記をしたためてもそれを自分自身の秘密にしていたように思うんですよね。鍵付きの日記帳があったり?鍵付きの引き出しにしまい込んだり!誰かがこそり見たことを知ると、恥ずかしくて憤慨したりしてね。。。あの世に旅立ってから、それを大切だった人が読んで涙するのを、天空から垣間見てニヤッとする。。。少し、粋なものでも、「愛している」を遺言に書き残しておくくらいのことしかできなかったんですよ。
現代人は、ブログに日記のようなものを不特定多数の人に公開して、コメントやらアクセス数やらといったことでプレイしている。それらが、どの程度本音や真実を映しだしているのかはさておき、うちの長男くんでさえ(失敬)、仕事絡みで結構マメに更新するようになってるんですから、やはり文化として定着しているのでしょう。。。少し前までは、意味ないとか言ってたように思うんですがね・・・

おっと、本題からそれちまったぜ。。。

幸運から見放されたら、人は凍ってしまうらしいんです。
凍った人を生き返らせる光や熱はいったい何処にあるのだろうか?・・・ある小説の結びです。
現代という時代を欲求と時間という2つの側面から切ってみましょう。
1つは欲求が満たされやすいゆえに欲求とならない。結構、いろんなものが安価で手にはいってしまうでしょ。すぐに満たされてしまうから、満たしたいという欲求が衰退してしまう。
もう1つは、時間の流れが速くて、乗り遅れないように知らず知らずのうちにみんな性急になっている。。。欲望を練り上げる溜めや暇がない。

例えば「恋愛」一つとってみても、まどろっこしい段階は回避して、風俗やなんかで容易に欲求を満たしている。その満たし方も、時間をかけずに「本番やらせろ!」「いくら出せるの?」では、人と人の関係は砂漠の砂みたいに風に吹かれる。。。
いくら「恋愛」が利を生まないものだからといっても、練り上げる溜めもなしに放棄されていくのは如何なものか???別に「恋愛」や「風俗」に固執しているわけじゃないですよ。理念や哲学が練り上げられていかないことと同程度?に考えてるわけです。

現代において、凍った人を生き返らせる光や熱があるとすれば、それはやはり砂の中の一粒なんじゃないでしょうかね。。。数多の砂の粒の中から、自分にとって光り輝き、熱を発する一粒を見つけだせるかどうか・・・その徒労のような営みを支える欲求と無駄に費やす時間とが凍った人を生き返らせる。

生き続けたい。生き続けたい。まだ生きていたくなる。 マクロスFのLionの歌詞はそんな人の欲求が生のエネルギーであることを歌っているのかもしれません。

砂の中の一粒に秘められた光と熱のメッセージを探してみるのもいいんじゃないですかってことなんですがね。

まあ、俺は数多のリーチの中から一粒の「大当たり」を探し続けてるんですけどね。

2013.1.08
家庭というものは・・・
小・中学校の3学期始業式の翌日の今日。(違う地域もありますね。)
早い目の午後に帰途につく児童・生徒の姿を町中で見かけました。おそらく、先生方は午後の会議で正月頭を切りかえて職務に励んでおられるに違いないのですが、彼女たちはそんなことをこれっぽっちも考えずに家路をふらふらと歩いています。

重松 清 著 「ビタミンF」の一編の「母帰る」のお話でもしましょう。

熟年離婚って何歳くらいからそう呼ばれるのでしょうね?子どもがいたとすれば、結婚して新たに一家を構える位の年齢ですから、還暦前後あたりからでしょうか・・・最近は、結婚年齢も上がってますし、未婚の人も多いですから、一概に言えませんけど。。。
さて、主人公は37歳で、結婚して娘も二人いるごく一般的?な家庭・・・
んんんんんん。この家庭の話じゃないんですね。
実家ってやつなんですよ。主人公の親父が71歳で10年くらい前に母親と離婚してるんです。理由は、父親曰く「ようわからん。」ただ、母親がむしょうに家を出たくて堪らなくなった。ということらしい。
主人公は、そのことで母を嫌いにはなっていないが、恨みや憎しみといった感情は当然のごとく持っているわけです。
ストーリーはさておき、ある日その母親と同居(同棲)している男性が逝去した。一人暮らしを続けていた父親は、彼女に「もどってこないか?」と言葉をかける。
息子は複雑な心境になる。
なぜ?いまさら・・・なぜ?許せる?・・・どんな顔してもどる?

理解できない。。。それは、主人公が子どもだからだろう。この話の中で、家庭というものを義兄(姉の離婚した夫)の言葉で、「出ていく所なんだよ。」と語られている。

家庭が帰るところなのは子どもの時で、大人になるにつれて家庭は<出ていくところ>になるという。まさに、自立しようと家庭に浸かっているものも珍しいし、一人前に結婚して新しい家庭を築くことこそ、家庭から出ていったことに違いあるまい。

家族の誰かが家を出ることで本来あった家庭は砕けてしまう。世間的に通りが通るか理不尽かに関わらず、砕けるのだ。そして、砕け散った欠片<家族の欠片>にこそ意味があるのだ。その欠片をどう愛おしみ、大切にできるかが本質的な問題なのである。

長年(33年)連れ添った伴侶の砕けた欠片を放っておくことが出来なかった父親。
「父は一人で年老いていく欠片を放っておけなかったのだろう。」
その年になれば少しは分かるようになるのかもしれない。と俺も思う。

出ていったものを笑顔で迎えられるのは年老いた証かもしれないな。

自立するとは家庭から出ていくことで、出ていって作った新しい家庭もまた、出ていくものを待っているのだ。

しかし、家庭という概念が「温もりのある絆としての関係」ととらえることが出来れば、問題はそれほど深刻なものではない。出ていきたがりもいれば、出不精なものもいる。

まともな頭で、まともに考えれば、いつでも帰ってきていい場所だというまともでない結論にたどり着く。

家族の欠片・・・か。 いい言葉だと思わないか?



2013.1.07
服を着た猿
おっと、1日2回の更新になりましたね。途中、睡眠を挟んでいますから、体内時計では翌日更新なわけですが・・・
新年になると、なぜか更新がマメになりますね。(笑)そして、続かないのが俺です!

そうそう、この冬に樋口有介の本を読みたいと思ってね、本屋を探しても、粗方読んだ本ばかりで、未読のレア本には出会えなかったわけですよ。。。
そしたら、なんと単行本で「猿の悲しみ」ってのが発刊されてたっていうわけです。
単行本って、持ち運び不便やし、ページめくりにくいし、    高い
ので、苦手なんですがね。。。
それはそれ、読みたい欲求には抗えない・・・決して・・・
で、買ってきて貰って読んだわけですよ。(自分で買ったんとちがうんかい!)って突っ込み入れてもいいねんで。。。
でね、その中で、主人公の風町サエちゃんが呟く台詞があるんですよ。
・・・どうせ私は面倒という名前の服を着て歩いている、ただの猿なのだ。・・・・・

金と権力で他者を支配し、服従させることで快感を得る者もいれば、理想と哲学で権力の支配に抗い、それらから自由であることで快感を得るものもいる。

いずれにせよ、今日という日常のありふれたことが手に入れられるという幸せを噛みしめられるところまで、俺たちは心を磨かんとあかんということやね。

一読すると、深町秋生の著書かと思うくらいソリッドなタッチのこの小説。。。

読まないてはないですよ!!!

2013.1.07
おみくじ
元旦に初詣行きましたよ!氏神さんの荒見神社ですがね。その前に、長男のショウキチとヨドイチホールへ初打ちに行ってましたが、てか、ホールでカウントダウンだったというのが正解か?もう既に、お賽銭はヨドイチ神社に納めてきましたのですが。。。
まあ、おみくじ引きましたよ。これ、荒見神社でですが・・・
中吉・・・まあまあ、ですよ。。。じょうできですよ。。。すぐに、括りましたよ。。。
雲も晴れるそうですよ。。。でもね、「邪恋慎むべし」ー「邪恋は身を崩す」ってなんですか?
人の恋路は神さんにも邪魔されたくないですよ。。、かみさんは邪魔するでしょうけどね(笑)命短し、恋せよオヤジですよ。。。

ただね・・・「邪恋」という言葉。なんか、・・・・いい響きですね。
「恋愛」とか「初恋」とか「恋心」とかと違って、深い闇の趣がある。
本来、「恋」って感情そのものが「邪」なものなんですよ。
人権を無視した略奪的などろどろとした感情・・・だから「かけおち」や「心中」なんてことが出来ちゃったりしたんですよ。
   なんか口調が、伊坂幸太郎の「砂漠」に出てくる西島みたいになってますが・・・

単純に考えれば、日常に退屈して「恋」に逃げ込んだら安寧な生活を失ってしまいますよって事なんだろうけどね。そんなことで、崩れてしまう日常なら、はなっからくそくらえって感じじゃないですか?

まあ、気をつけますがね・・・(笑)


2013.1.06
あけおめ〜てか、もう年始しか更新してへんし、商売っヶ全くないし、まあそんな感じで2013年も俺なりに突っ走って行くんやろなって感じで、よろしくお願いしまっす!!

だいたい新しいページ立ち上げんと、3年連続同一ページって所からして、大いに問題ありですわ(笑)

そうそう。昨年12月30日は江坂ミューズでロックイベントがあって、参戦してきたわけですよ。年甲斐もなくね。6BAND5時間の頭から、ALL暴れまくりまして、正月3が日は、筋肉痛との戦いでした。いや〜楽しかったね。爆音と拳とダイブ・・・最高やね。日本の若者たちは捨てたもんじゃないよ。ほんと。。。50代のオヤジを酸欠状態に追い込みよるんやからな!!!

というわけで、年明けから腕立て伏せを始めました。だって、次のライブでまた拳上げんなんからな・・・

三浦しをんの「まほろ駅前番外地」読んだ人は分かると思うけど、金剛力士像に憧れる行天(ぎょうてん)くん・・・ドラマでは松田龍平くんみたいな気分なってもうてるね。アホです。

そんな感じで、仕事お暇な時にアップしていきますので、今年もよろしくお付き合い下さいませ。・・・・・・ん!アメブロ、その他のSNS全く更新してないってか?・・・
なんのこと?

まあ、この日記が頻繁に更新されるようだと、今年も所得税は納めなくてもよさげということですな。


2013年にワープってか? なんでや ねん!
2012.2.19
心はいつもホームレス
樋口有介ミステリーの「枯葉色グッドバイ」を読み終えた。主人公の元刑事のホームレスの人となりや価値観が出来事や出会う人たちとの絡みを通して、リアリティーをともなって実感される。
「人生を捨てるなんて、何を甘えているの。。。」
「甘えた奴に、人生が捨てられるか。」

「私も、ホームレスになるわ。」
「学校へは行け。ホームレスになるのにも教養は必要だ。」

ホームレス問題を興味本位で語るわけにはいかない。複雑な社会問題や社会構造に関わる繊細な部分を内在しているのだから。
しかし、一方で仮の住まいを持ちながら、家族と共に「ホーム」を形成して生活している私たちが見つけられずにいる「生きること」についての大切な視点をホームレス側から受け止めることは重要であると思う。ゆえに、今回あえて書きとどめていることに留意願いたい。

家庭を持ち生活する者たちを「ホームフル」と呼ぶことにしよう。(厳密にいうと親子のホームレスもいて共同でテント生活を送っているとすれば、その単位を家庭と呼べなくもなく、社会への所属IDが発行されているかどうかということになるのかもしれないが・・・。)便宜的に一般的に家庭を形成している者たちを「ホームフル」とすることにする。

「ホームレス」は様々な状況下で、自分のホーム及びそこにおける「人生」を放棄できた人たちである。自分の意志であろうが、なかろうが、必然的にそうしたまたはそうなったわけだ。
一方「ホームフル」の人たちも同じで自分のホーム及びそこにおける「人生」を放棄できないまたは、放棄しないで生きることを必然的に継続的に行っている。

「人生」を生きる上で両者間に方法論的な違いはあっても、「生存」の本質的なところに於いて「死」を選択していない点では両者間に差違はないとも言える。

しかし、生存の「質的な差違」は極めて重要なことである。

「ホームフル」は人間関係に依存する上で自己の存在を明確にしていくことになる。これはすなわち「神を堕とす者」の視点での生である。子どもに神を堕とし、崇めることで、育児をすること。女房に神を落とし、お供え物をし、交わりをもつこと。親に神を堕とし、奉り、拝むこと。
ホームフルは家庭を基盤とした人間関係の中で対象に神を堕とすことで、また自らにも神が堕ちることを願い生きていくのである。

「ホームレス」は修験者の如くである。「ホーム」に頼ることなしに、自らの「生」に神を見いださねばならない。日常的に、自身に宿る「神」と対峙しなければならないのである。やがて、彼は「神を宿す者」となる。

20世紀少年(浦沢 直樹)の中に「神様」というホームレスの老人?が登場してくるが、彼もまたそういう意味深い存在であると考える。

「人に頼らず自分でしなさい。」という親の言葉は、「ホームフル」を基盤に発せられているが、「自分の中の神に気づきなさい。」ということなのかもしれない。

いずれにせよ、お供えをし、自己の他に「神」を祭ることで「自分自身の神生」を「人生」とする者と、日々の修行によって自己の中に「神を見いだすこと」を「人生」とする者との違いを
現在という「お金」が「神」となっている時代に、問いたい。。。。



心はいつも、不思議と「神を宿す者」を追いかけている。 



2012.2.15
神々を讃える一考察
日本は本来、多神教の国である。実に多くの神社が建立され、数多の名前の難しい神々が祭神として崇められている。
その詳細は 武光 誠 氏著「知っておきたい日本の神社」に委ねるとして、今日の家庭や男女関係における状況を信仰という観点で考察してみようと思う。

嫁さんのことを「家のかみさんが・・・」と口にする知人がいる。刑事コロンボの和訳もそんな言い回しだったが、女房を「上さん」「神さん」と位置づける信仰深い旦那である。ただし、お供物が少ないと夫婦不和の原因になったりもするのが世の常かも知れない。その神さんのお告げが時に欲しくてメールをしたり、会話をしたりする。神さんの実在を確かめたtくて性交をしたりもする。人間というものは、よくよく神さんを身近に置いておきたいものなのだと改めて感心する。
息子が友人と「俺たちは無神論者なんだが・・・よい講釈をきくとイチコロで信仰してしまうかもしれない・・・」などと話していたと語る。俺から言わせれば、自分で無神論者と思っているだけで、または、分類しているだけで、実は彼女を神と仰いでいることに気が付いていないだけなのだ。

「俺の女になれ!」と口をはばからずに曰う輩は、人を物扱いするやつだろう。相手を尊重するなら畏れおおくも、神に唾は吐けないはずだ。キリスト教が離婚を否定しているのは、一神教ゆえの理屈から来ているのかもしれない。神は一人でなくてはならないのだから。。。
一方、我が国は多神教・・・ということは、数々の神を信仰してもよいということだ。本来、信仰は「みんなの幸せが個人の幸福になる。」ことより、豊穣・豊漁信仰として始まっている。とすれば、多神教社会における男女関係も本来そう淫らなものではないはずである。にもかかわらず、現在の日本の性風俗はかなり自由に乱れている。年間1兆5000億円ほどのお金が性風俗業界で動くのだから、まったく凄いことだ。国家の補正予算に匹敵する額なのだから。。。それは、さておき、人の一生で本当に信仰できるに値する神に出会える機会も稀少であるに違いない。それは、彼氏、彼女、女房、旦那、子ども、親、様々な人の姿で現れるのだろうが、心底崇拝し、崇め、お供えをし、生きることを紡ごうとする相手というのはそうそういないものである。

それ故に、大切な人の内には神を見なければならず、その内なる神を見た時に相手が大切な者となるのではなかろうか。

人間関係の一つの尺として、神の領域を理解せねばならない。その理解が時として心の平穏を生み出すということを私たちは理解しなければならない。

それが、多神教の日本という風土に根付いて生きていく上で極めて重要な事であるように思えるのだが・・・

2012.2.11
誰がために鐘は鳴る
随分昔の映画の題名にこんなのがあったような気がする。印象的にはモノカラーでアップの女性の唇がやたらとテカっていた気がするが・・・ストーリーもよく覚えていない。。。
ただ、あくまでも他力的なこの題名にも、鐘を鳴らす主体は存在するということがおもしろい。よくよく現象というものは気づかれずに引き起こす主体の意志が働いていることに驚かされる。
おまけに、鐘を鳴らす主体が一生のうちに鳴らせられる相手というのも実はごく限られているに違いない。
人はそれを縁と呼んだり絆と言ったりするのだろう。

できれば気づかれずに鐘を鳴らす人でありたいのだが、それを美学としたいのだが、なかなかまだまだエゴがそれを許してはくれない。
修行が足りないということで、天にも召されないようである。

学ぶということについて最近論じ合った。学ぼうとする意欲をもたない中学生が話題のトリガーとなった。
難問に向き合うことは苦痛を伴う。考え、悩むにはエネルギーが必要だ。それでもわからないとしんどさだけが表出する。ほっぽり出したときの安堵感。出会わなかったことにする。
その反復練習は学びの材料を目の届かぬところへと追いやっていく。
しんどさと向き合ってまで学ぶ必要性を感じない。でも、心の何処かには「自分はこんな事ではいけない。」と反芻している。
学ぶことは生きること。。。本来、確たる目的もなければ必要性もないもの。。。ただ、必然だけが人を学びや生にかりたてる。目標や動機はたいていの場合後付けされて意味を持たせていることが多い。
麻雀でいえば、あがりたい一心の鳴き。運命の牌はすでに目の前に置かれている。上か下か次順か次々順か・・・その運命を変える鳴きとは質的に異なることは明白。。。

学ぶか否かは生きるか否か。。。どうするのかと突きつける小学校教師がいればと思う。

中学生の多くが方程式や関数で学ぶことそのものに躓くのは、小学校で数学大系に基づいた指導が行われていないだけが原因ではない。生きたいのかどうかを問い、生きる必然を認識させる意図的な関わりが欠如していることが問題なのだ。。。

小学生に生きることを突きつけても・・・とかいう輩は、自分自身の生への執着が幼少期からあったことを忘れている人たちだ。小学生の多くは、死ぬことと対比させて生きることを不思議に思ったことがあるだろうし、自殺について考えたことがあるはずだ。

死が身近にあって、軽いものになっている。妊娠中絶、交通事故、殺害事件、医療業務、介護サービス、延命措置、葬儀の簡略化、リストカット、首つり、生命保険。。。
相対して、生の質量が軽くなっている。生死の比重は変わらなくとも、双方の質量が軽くなってしまっている。

誰がために鐘を鳴らすのか。。。その必然が生きる証なのかもしれない。





2012.2.10
小説の断片
樋口有介ミステリーに嵌ってしまいました。東野ミステリーほど知的ではなく、伊坂ミステリーほどトレンディでもない。でも、深いんです。。。風景描写が緻密なんだけど、拙い表現でトーンを抑えているところもいいんですよ。主人公の抱える心の闇も実に美味しい。

話の板は、田舎の喫茶店であったり、東京の下町であったり、アパートであったり、代々木公園であったりするんですが、登場人物の各々の生活感や生きる価値観の雑煮みたいな味わいを台詞のスパイスでちょうど美味しく味付けしている。

「雨の匂い」・・・まいりました。

会話って人との関係を縮めるためにするもんだと思ってましたよ。やれ、コミュニケーション力が大切だとか、言葉にしないと伝わらないでしょ。とかって・・・会話の端々に下心さえ見えたりしてね。。。

でも、主人公の大学生の柊一は「人との距離を置くために」会話をしているんです。だから、女の子たちは口をそろえて言う。「・・・嫌なやつ。」

でも、だからこそみんな柊一をまともな人間として安心して距離を縮めてしまう。距離をおくための会話が逆に距離を縮めて、人間模様を織りなしていく不思議さ。。。

癌の父親と寝たきりの祖父の介護を一人で淡々とこなしていく日常に、
祖父の「理想やなんざ屁理屈をこねてねえで、目の前の仕事を真面目にきっちりやっていくこたあ。そうすりゃ、そのうちいいこともあらあな。」

・・・・・完璧か否か。我慢できるか否か。風景も人生も同じである。・・・・・と地の文は語る。

淡々と生きるいい子の内にわき上がる超エゴ。。。自己と対話しその結果から導き出された結論は、そぐわないものを自分の現実から排除する。なんのためらいもなしに・・・それを狂気と呼ぶのかもしれない。

母親の自殺をさりげなく仕組み、ゴミ屋敷の老主人にガソリンをかけて燃やし、元AV女優の友人の自殺を看取る若者の狂気。

癌で死を宣告されている父親や寝たきりでも若い女に目のないスケベ祖父の方がよほど、今を幸せに生きている。やがて死に行く人たちを淡々と介護する柊一に生きる意味や目的など意味がないこと。ただ、父親や祖父が自然と排除されていくことが心地よくはあるのだろう。

       病んでいるこの国の本質を垣間見るかもしれない。。。。


2012.2.7
雨の匂い
この間の激寒。。。全国38カ所で最低気温を更新したとか・・・寒すぎです。京都の園部で−10.5℃なんですから、北海道かっちゅうねん!てつっこみ入れたくなりますよね。
でも、世界にはもっと寒いところもあるわけで・・・
例えば、世界で一番北の町。。。何処か知ってますか?
ノルウェーのロングイヤービエンって街だそうですね。もちろん、行ったことはないんですが、この間映像で見ました。この町は白夜の街で、昼でも夜みたいに暗い。なので、住んでる人たちはお昼になると走ったり運動して、身体に昼間であることを教えるそうなんですよ。
お店には、太陽光並みに明るいライトが設置されていたり、、だんだん明るくなる目覚ましライトを枕元に置いたりして、単純な生活が思いの外創意工夫されている。
おもしろいことに、この町は空港に入国審査部署がないフリーゾーンらしい。外国人でノルウェーで働きたい人や過去を背負った人たち等々、世界44カ国の人たちがこの町にやってきているという。
ホームパーティには各自の国の料理が持ち寄られ、万博並に味わえそうである。

さておき、この寒さゆえに風邪を引きました。鼻水、鼻づまりから、軽い頭痛、特に目の奥の方が重だるい。。。微熱少々・・・インフルエンザではないようですが・・・時折、悪寒が走る。
うちのおかんは、82歳でいまだバイクで走ってますが・・・・
どちらのおかんも微妙に怖い(笑)

自分で風邪を引いたなと認識するのは何年ぶりのことか?

確か、2001年浜島マラソンの前々日に高熱で学校を休んだのを記憶しています。朝から自習計画を黒板に書きに行った覚えがありますから。翌日、熱をおして家族で合歓の里入りをしました。車は無理だったので、近鉄特急で行った気がします。マラソン走ったら、ほんとに風邪が治っちゃいましたけど。この時は、自分が風邪を引いていると認識していましたが、それ以降の記憶が定かでない。。。ピンポイントでは、不調を感じることはあっても、風邪だなと自覚するには何某かの根拠がいるのかもしれません。

とにかく、現在俺は風邪です。葛根湯とロキソニンとビタミンC粉末とE錠剤のお世話になってます。  前置きが長い・・・ですね。

「雨の匂い」 樋口有介著 中央公論   今日は雨です。気温は10℃足らずと比較的冬にしては温かですが、雨粒は冷たい。。。午後からは雨が止み、北西の季節風が強くなる予報です。 しかし、この書の雨は梅雨時の雨です。だから、匂いを含んでいます。冬の雨には匂いなどありません。

一人で癌の父と寝たきりの祖父の介護をする大学生の青年が主人公ですが。。。
ほんとにいい子なんです。素直で、物静かで。。。そして、どこかに狂気を静かに抱えて育てている。。。

まだ、途中なんですが・・・日本人に鬱が多いのは四季のせいだとか書かれてありました。「うっとうしい」「うざい」・・・「う」・・・雨の音読みも「う」です。季節の変化は愛でると素敵ですが、潜在的に対処しなくてはならない恒常適正に負荷をかけているのかもしれないですね。対比してアフリカには「鬱」がないとも話されていました。だから、アフリカは貧困がなくならないとか。。。極言して、どんなに辛いことが起こっても、太鼓が鳴ると踊り出してしまうからとかって・・・かなり失礼ですが・・・季候の民族的特徴に及ぼす影響ってたしかに計り知れないのかもしれません。

最近、「鬱」が治ったという知らせを立て続けに2件頂きました。本人の苦しみや身近な人たちの祈りを察することは出来ませんが、「よかったですね。」と本心でそう思います。

心の不調は体の不調となり、巡る季節の中で朽ちていくように思われるからです。日本人として四季を生き抜いて行くには、強くなくてはならないのでしょう。強くなくては、四季を愛でることもまた難しい。。。散りゆく花弁を目で追っても、雨の匂いを活力に変えることなどできやしないですからね。

今日の雨が、大地にしみて、訪れる春に向けて、その糧とならんことを祈ります。
大地にしっかりと根を張ってこそ、生命の営みなのですから。


 
2012.2.3
移ろいゆく季節色
もともと、人の一生に「落ち」などなく、退屈な生活に愚痴をこぼすほど若くもなくなった俺は、努めて客観的であろうと振る舞うのだが、巡り会う景色は折々の色彩を醸し出し、心中穏やかならぬ時間を作り出すものだ。
テニスの王子様風に言われれば「まだまだだね。」で十分事足りるのだけれど、努力の域を越えているようにも思える。

いったい何が?

簡単にいえば、感動を伴わない淡々とした情景描写のなかに垣間見える心の機微が、感情ともつれ合って、不安定な時空間を提供してくるといったところなのかもしれない。

「意地を張り通して生きていく」オヤジと、
「意地を張るだけでは生きていけない」と悟る少年。

どっちが子どもなのか。。。

どっちが大人なのか。。。

その節目が 今日という日  節分なのかもしれないな。


鬼も福も楽しくやろうぜ!!

2012.2.2
科学と伝承
今日のNHKのクローズアップ現代? 見ましたか??
料理の世界と科学の世界がコラボして、新しい料理を生み出す動きが始まったってやつ。

例えば「あゆの塩焼き」を液体窒素で固めて粉末にして、お寿司に混ぜて新しい「あゆ寿司」だとか、味覚の時間差を利用して、味噌はそのまま・酢はゼラチンで固め・からしは寒天で固めて、始めは甘く、次に酸味が感じられ、最後に辛さが味わえる「和え物」だとか、蕪をの甘みを増加させるために、水と砂糖水の融解温度の差を利用して、冷凍蕪から糖分を抽出し蕪にしみこませ調理する等々・・・
紹介されている調理法は科学的根拠に基づき研究者とタイアップして取組が進められているらしい。
京都大学の研究室と京都の日本料理の調理師が研究会を開いているとのことであった。

味噌汁やヨーグルトを塩化カルシウムで包み、口の中で溶け出すようなプルプルのものもあったし、実際そんな料理を提供している店もオープンしているらしいね。

科学的調理法のパフォーマンスはとても新鮮な新鮮な感じがしておもしろかった。

ご飯の一番美味しく炊きあがる温度が15℃ってことも知らなかったし、湧き水で炊いたご飯が美味しいわけも年間を通してほぼ一定に保たれている水温と関係しているとのことも納得できた。

料理研究家の服部氏が言っていたが、
「いいものに進化させ、いいものを守り残していく努力」こそ大切ではないかと思うんですよ。

これって何にでもあてはまるよね。

遊び場(クラブやライブハウス)の問題だって、いいものに進化させ、いいものを残していくことで、道は開けていくのかもしれないね。

自由の気風を存続させるためのレジスタンスもいいかもしれないけれど、
新しい形の模索も考えてみるとおもしろいかもしれないな。

俺たちは自由な発想とそれを支援する科学的な成果を闘う道具として持っているのだから。

宗教法人化なんてしたら、「○ーっむ」みたいに公安さんから@V@・・・だろうし、
もっと、サロン的な営利とは切り離された私的でかつパブリックな形みたいなもの・・・

作り出してみるのもおもしろいかもね。

山城森林公園 レゲー祭り2011を企画運営されたみなさん。
また、参加されたみなさん。ゆたかさん。

楽しんでばかりいないで、楽しめる環境づくりを楽しみましょうよ。






2012.2.1
しまいに怒るよ!あたしゃ。。。
京都の街がどんどん住みにくくなっているんどすえ。住みにくいというか「楽しく過ごしにくく」なってます。
この間から、飲食店やクラブの営業に係る締め付けや、経営者のしょっ引きの話をよく耳にします。どうやら、営業の認可種類によって営業時間や営業形態が決まっているみたいで、酒を飲む・音楽を流す・踊るの3拍子揃った楽しい箱が京都の街から姿を消していっているようなんだよね。
「よく学び、よく遊び」しかり、「馬鹿になって発散してこそ、いい仕事が出来る。」いつの時代も、実なる世界から開放された精神世界の自由が人々の健全な営みを支えてきたんだよね。
風営法をはじめ、条例レベルでの締め付けも勢いを増しているし、特にこれから国の担い手になっていく青年層の自由な気風に基づいて牙を研ぐ場所が無くなっていくことは大きな社会問題なんですよ。

だいたいそんな立法が議会で承認されていくのだから、議員さん達はあんまり遊んでこなかったか遊べなくなった人たちが多くをしめているんだろうと思ってしまいますよ。

飲食店では音楽を流したり、スペースで踊ったりしてはいけません。
「はい、あなたのお店ダメですね!逮捕です!」

クラブの営業は1時までですよ。
「はい、1時を越えましたね。逮捕です!」

天才バカボンの本官さんですか。。。。。まったく。。。
まあ、本官さん達も、「上からのお達しなので・・・しかたないです。。。」ってのが本音の人もいるんでしょうがね。。。どこまで、どうやら。。。

でもね、日本の社会に閉塞感が漂い、その是正を粛正によって実現しようとしても無理なんですよ。粛正はやがて血の粛清となり、より息苦しい社会を形作っていく。
そんな、戦前の歴史を私たちは学んできたはずじゃないですか。

自由な校風に血湧き肉躍らせていた学生たちが、突然、翌日から真逆の価値観を突きつけられた「ガクト動員」。。。。。

今日から、京都駅周辺及び東大路界隈が禁煙区域となった。
吸えなくするのではなく、分煙やマナーの啓発を促進するべきで、喫煙という法的に違法でない行為が規制されることは基本的人権に関わる大きな問題なんですよ。
大問題ですよ。

かつて、学校も職員室で自由に喫煙できたもんだ。いろんな問題が、その一服で適切に解決されていった。少なくとも俺はそうして、教育現場で奮闘してきた。禁煙教育が導入され、
副流煙が問題視され、やがて、職員室が禁煙にされ、ついには学校敷地内禁煙が実施され
俺は職を追われた。。。形式上は依願退職、円満退職であったが、教師と子どもに隠れてトイレで隠れ煙草をしながら続けて行けるわけもないだろう。

煙草やめますか?仕事やめますか?を突きつけられて、仕事を辞める馬鹿もいるんだよ!

なめんじゃねえ! 職業選択の自由と基本的人権(喫煙)の自由は憲法で認められているじゃねえか!

そもそも、行政が二択を突きつける地点で憲法に違反してるんじゃねえのかい?

まかり通りやがる。 俺たちの知らないところで、どっかのお嬢ちゃんやおぼっちゃまんが自分たちの勝手な価値観を押しつけて、民主主義だとかほざきやがる。

なめんじゃねえ。

人は本来自己責任においてもっと自由で、お互いを気遣い、認め合うもんだろ。そう、学校で習わなかったのかい?

京の街が住みにくくなっていく。楽しくない街になっていく。その流れは、近隣府県の動きと呼応して速度を増しつつある。

自由の気風なくして、日本に未来はない。発想なくして物は生まれないのだから。

馬鹿な輩が自分たちは賢いと勘違いして社会を動かそうとするから、本質的な生産力が見えないんだよ。。

そんな動きに歯止めをかけようと自分に出来ることを懸命にやってる子たちがいることも知っておいて欲しい。

クラブを守るために、クラブ的な店を守るために、自分たちの自由を守るために、社会の退廃をくい止めようとしている者たちがいることを、体制に立ち向かおうとしている者たちがいることを知っておいて欲しい。

そして、馬鹿野郎たちは 金城一紀の「フライ ファーザー フライ」を読みやがれ!!!

あー!怒りにまかせて書き殴ってしもた。。。

呼んでしまった人。。。ごめんね(pq)  and

orz




2012.1.29
泣かない
どうも俺ってよく泣いていけないね。
何がそんなにつらいのかねえ。
そういえば、子どもの頃からよく泣いてたもんな。
一人ですねて、勝手に寂しくなっては泣いて。
諦めればいいのに諦めきれずに泣いて。
我慢すればいいのに我慢できない自分に泣いて。
最善を尽くせばいいのにただ最善を尽くすだけは嫌で泣いて。
それら一つひとつでも十分泣けるのに、諦めて・我慢して・最善を尽くす自分が辛いもんだからよけいに泣けてくる。。。
いつからか
「泣けるじぇ。。。」は「やばい!」と同じくらいの意味になったんだけど、
それでも、諦めて、我慢して、最善を尽くすのは疲れる。。。

綺麗なお姉さんに、「どれか一つにしてみたら?」なんて言われてみたい。プラスティックラブみたいにね。

そこへいくと、俺の兄貴なんかはちゃんとどれか一つを生きている。辛いんだか辛くないんだか分からない輩なんだけど、少なくとも疲れてはいないようだな。たいしたもんだ。

やっぱ、ちょっとは見習わないといけないな。

時にはどれか一つを選ぶ勇気だって必要って事なんでしょうね。

疲れずに生きるって楽しいんだろうな。。。

でも、楽しく生きるって楽じゃないしな。

こんなことを考えてる時は泣いてない。

2012.1.27
虚と実の狭間で
実世界でのもやもやとした・・・不満でもなく、恐れでもなく、憤りとも違って、哀しくもないといった得体の知れない感覚に包まれる事ってありますよね。
さっきまで確かなものだった自己のIDが突然不確かな感じになって、探し物が見つからなくてどうしましょう・・・みたいな感覚なんですが。。。
探す時間なんてほんとはいくらでもあるのに、訳もなく焦ってしまう。

そんな時は「死人」になるんですよ。ゾンビっぽいんじゃありませんよ。幽体離脱ともちがいます。侍の心得のような感覚です。「逝き紙」をもらった者の感覚に近い感じです。

パイレーツ オブ カリビアン の 何作目かに、水平線がひっくり返って水の上下の世界が入れ替わるシーンがありましたよね。

dead と live の世界が入れ替わる。入れ替わりそうな「対語」を整理してみると

     陰       陽
     死       生
     暗       明
     虚       実

一方はフィクションで もう一方はノンフィクションだったり、方や精神世界で方や物質世界だったりするんですよね。

おもしろいことに世の中の人工物のほとんどが精神世界の技術や努力や心意気によって生み出されているんです。虚が実を生み出すのが人間の凄いところかもしれません。

その実がマネーという虚をうみ出し、その虚によって人々は生活という実を手に入れる。

虚が実を産み、実が虚になって、また実を生む。

まあ、バブルなんてのは虚が虚を生んで実を得るからはじけるんでしょうが・・・・

ともあれ、物質世界における虚の位置づけが自分の中で確かなものになっていればいいのですが、そこが不確かな感じにおそわれるとあとはもう 砂浜で落とした最後の50セントを探し歩くしかない。

虚が実を生むサイクルと実により虚を得るサイクルとは噛み合わない。

なぜならその虚が両者に同等の価値を持つとは限らないのだから。。。

虚を得るための実を追い求め、その課程で虚を使い実が崩壊する。。。

これは、疲れるんですよ。疲れたときは「死人」になればいいんです。

一休みするんです。 雨降らば降れ  風ふかば吹け です。



 
  
2012.1.26
最後の徒花
徒花(あだばな)の意味をYAHOOで検索してみました。
徒花(アダバナ)」の意味: 「咲いても実を結ばない花」転じて「外見ははなやかでも実質 を伴わないもののたとえ」、 「時代のあだ花(ジダイノアダバナ)」の意味: 「その時代 においては不幸にしかならない女」「現状にそぐわない無意味な政策」等 ...〜と紹介されているサイトがありました。

タイトルは漫画「花の慶次」で風魔小太郎と前田慶次とが死合う場面につけられたものなのですが、今日は妙に気にかかるんです。

咲いても実を結ばない花には哀しさがあります。その美しさを少なくとも私は愛でてやりたい。しかして、外見ばかりで実質を伴わないものは否。。。嫌悪すら覚える。  転じるんじゃねえぞ。このやろう!(注)サイトに対する不満ではありません。

「花の慶次」のストーリーでは風魔の頭領である小太郎がお茶々暗殺を目論み、能「白鷺」を舞う場面で慶次共々俸禄玉で自爆を図るのを慶次が阻止する。といったものだったと思うのですが・・・結局、慶次によって生かされ、風魔一族は歴史の舞台から姿を消し、後に江戸の遊郭「吉原」に関わったとされている。

私は、小さい時から「徒労」という言葉が何故か好きでした。小さい時からそんな言葉を知っていたことが不思議なんですが、例えば、ギリシャ神話の不条理の英雄シジフォスに強く憧れたり、畑に無駄に穴を掘って楽しんだり。。。

『あきらめ、我慢して、最善を尽くす。』しかし、何も実を結ばない。実を結ばないことが重要なんです。実を結んでしまったら、その労力の虚無感が全く失われてしまう。畑に掘った穴に枯れ草でそっと蓋をする。でも、誰かが落っこちてはダメなんです。私の徒労が台無しになってしまう。最悪の場合でも其処に落ちるのは、至高の虚無感と決別を覚悟した自分自身でなくてはなりませんでした。

『あきらめ、我慢して、最善を尽くすこと』は他力本願の根っこでもありましょう。万民救済のはずなんですが、時々、疲れるんですよ。

徒花であることは疲れます。

「プラスティック ラブ」 樋口有介著 の中に見え隠れする虚無感も素敵に体内に吸収されてきます。

目的意識を持った生き方をするものと死ぬまでの時間をどうやって費やそうかと考えるもの

いずれにせよ、現代社会の価値観やシステムが互いの脳裏をかすめ、何某かの行動理念を生み出すんです。

どう生きようと生きてるって事はそれだけで楽しい。けど、楽じゃないってこと。

私にとって徒労がもたらす虚無感は最後の避難場所なのかもしれません。




2012.1.25
一昨日から頭を駆けめぐるムシがいる。あ、別に狂った訳じゃないですからね。もちろん、ピロってもいないですよ(笑)
それは、「内言語化」というムシなんですよ。
「豊かさとはなんだろう」って考えはじめて、そろそろ7年目に突入かな。。。
うすうすなんだけど、豊かさって「言葉の豊かさ」なんじゃないのかなって気づいてきてるんですよ。
富めるものも、貧しきものも、今をどのように感じとらえるかによって、自分の立ち位置が幸福だったり不幸だったりしますよね。ポジティブだったりネガティブだったり。。。
この感じてとらえるということがなかなかやっかいな代物で。
結局、同じ花を見ても、「まあ、きれい!」「なんだ、普通やん。」「この色彩は!!何処から来たりて、何処へ移ろいゆくのか。ああ。」「別に。」なんてふうに感じ方は十人十色でも、表現の仕方は千差万別。
つまるところ、内言化され、自己認識される言葉によって、事象そのものが存在の意味を価値付けられていくという訳なんでしょう。
だから、人から見てたいした価値のない様なおもちゃが、宝物だったりするんですよね。メディアによって内言化を図られた商品は翌日スーパーから姿を消したりする。(笑)

いずれにせよ、言葉の豊かさとは内言化された言葉の質量に大いに関係すると思うんですよ。

「先生、うちの子は誉めて伸ばしてやってください。」「自信を持たせてやってください。」というお母さん達がほんとに増えてきた。
「ビシビシやってください。」「悪いことしたら厳しく叱ってやってください。」という親は少なくなった。


「誉めて伸ばす」はビジネス界の常識。有能な管理職ほど部下をよく誉めて動かすもんだ。それが企業利益に繋がるのだから素晴らしい。しかし、人を育てることを直接目的にしている関わり方ではないのですよ。

外的刺激「叱咤激励」に依存する子は言われないと動けない。
内言語の豊かな子は自分でどうしたらいいかを悩み、考え、行動に移す。

自分の意志で、行動の一歩目を踏み出せるかどうかは、内言語の豊かさとそれをベースにした自分との対話の経験がもたらすものではないでしょうか。

横に付いていないと問題に向き合えない子がいます。
別にヒントを与えなくても、自分で答えを書くんですよ。
少し、ヒントを言ってあげると処理できるんですよ。

自力解決できる子は自分でそのヒントを自分自身に与えている!
「さて、どうする。」と呟いて、「ここはこうか?ああか?いやまてよ・・・」まるで独り言親父さながらブツブツ・・・・。
「わかんねえ。答え見てやろう!」  彼は堪らず問題集の後ろの解答に目をやった。
そうだったのか。「俺はなんでこんな事が分からなかったんだろう。。。」悔し涙を流すネガティブさがあってもいい。「スゲー!おめえ、天才だな。(この解答した人は天才だ!)」ルフィーや悟空なみにポジティブであってもいい。
要は内言語によって自分で行動出来たことが素晴らしいのです。

学習だけではない。生きること育つことにおいて 外的刺激を取り込み 内言語化を図ることの意味は大きい。

自分自身に「まあいいか。」しか呟けないと次のステージに旅立てやしない。


ダルのテキサスでの健闘を祈ります。   

ray ray ray


2012.1.23
机の上の雑誌を一つ また一つとよけていくと、埋もれていた何かが見つかることがある。
それは、忘れ去ったはずの記憶の欠片であったり、置き去りにしてきたつもりの景色であったりするのだけれど。。。
古いIPodが埋もれていたのには驚いた。充電は切れていてすぐにはならなかったのだけれど、アダプターを探すと以外とすぐに見つかった。
電源を入れるとディスプレイはAlbumを表示した。まるで、時の経過などまるでなかったように。

人は雪の降った記憶は留めていても、その色彩は忘れ去っていくのかもしれない。

街路樹の桜の花が街灯に照らされて浮かび上がる。その色彩もまた朧だ。

albumに示された曲は「ain't afraid to die」 dir en grey


2012 1.8
さてさて 本年はいかなる指針をもって 過ぎていく事やら。。。
キーワードは 
        血が通う とでもしておきましょう。

そのために必要なものはパイプです

そのパイプの中を 想いや情や慈愛といったものが流れていくのです。

時の流れや人混みに熔けることなく 煤けることなく

たしかな価値を持ってそのパイプは繋がっていくのです。

そして人から人へ 時代から時代へと紡がれていくのです。

十人十色の希望は 各々が素晴らしく素敵であります。

その本質が繋がり合い織りなす景色は雄大であります。

今年も 多くの闇を美味しく頂きます。
闇を喰らい 毒を飲み干してこその「生」であると信じて。。。
2012.1.1 新年明けましておめでとうございます
     
      実り多き 希望の年に

      皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

        ALL HOPE IS UNIQUE

   (イラスト ショウキチ) 



         2012にワープです(笑)


3.12 東北地方太平洋沖地震
3.11の地震で被災されました方々のお見舞いを申し上げます。
一刻も早い人命の救助と一日も早い復興をお祈りいたします。

1.11 混迷の時代の指針
     
 2011.1.11.今日はたくさん1が並んだね。要録評定じゃ頭抱えるところだけれど、なんかぞろ目ってささやかに嬉しいもんだ。
 京都新聞が久御山高校の全国サッカー大会準優勝を祝った9面に
 「小さく小さくと考える」との見出しを見つけた。文化欄で評論家の吉本隆明氏が語る。
*混迷の時代・・・経済の停滞と空転する政治
          ・就職難 ・政治の三重苦 ・指針を与えられない大人 ・大衆の混迷
          ・社会から受ける圧迫感  ・孤独感、孤立感との直面
*指針・・・・・・・・拡張よりも収縮
          ・集団性の拡張よりも仲間の緊密性に重点
          ・欲求、行動の自由の拡大よりも不自由な中での自己充足で凌ぐ
*問題点・・・・・・政治が国民の衣・食・住の根本問題を解決できていない。
           <明日食う米、今日住むところ>があれば大丈夫。
           
 日々出会う事象を理解し判断する時に、共通の感覚を持つ人は多いだろうね。

 でも、その感覚に基づいて我慢する事ってなかなか難しいじゃないですか。

 SNSやセカンドライフはより多くの人との繋がりを指向することで楽しめて、かつ利益が上がるようにシステム化されているよんね。
 端末は多くの人に共有化され、情報は虚偽に関係なく交換されていくんだけど。。。
 リアリティーに欠ける!・・・共に笑い、共に泣き、共に祈り、共に感謝するという個々の人間の隙間を埋めるリアルなドロドロしたものが希薄なんだよね。

 ゲームにリアリティーを追求するんじゃなくて

 日常のリアリティーを充実させていくことが大切なんだなと思った。

 <明日食う米を手に入れろ!>ってミッションはかなり楽しめそうなんじゃないかな。

 そのミッション遂行過程でのジレンマが時代創造のエネルギーに繋がっていくことを大事にしなきゃねってこと。。。。

 
ということで。。。


あたしゃ これから 奈良県桜井の親戚のおばさま(母の姉)のところへ米の買い出しに行って来ます(笑)

 

           
 
1.10 ナニーの日
 世間一般では成人の日。。。新成人の方々おめでとうございます。
まあ、何かと付随する事柄も増えますが、成人としての自由の拡大と思えば未来は明るい(笑)
 さて、私は今日は爆友人のフィエスタのあっこさん宅でナニー業務をいたしております。
 ナニーって日本ではあんまり一般化してませんよね。ポピンズなんかが大手業務会社として有名だけど、なんかシッターって方が一般的かも・・・
 シッターってシットする人でしょ。。。おむつ替える人  嫉妬する人。。。おつむ変える人

 小三のミーチャの世話なのでシッターだったらなんか犯罪っぽいし(爆)やっぱナニー業務ってことで。。。
 家庭教師として勉強教えたり、昼食作って食べさせたり、時々洗濯物の取り入れしたり、晩ご飯の仕上げや諸々。。。就寝までのお世話 といっても 基本お留守番なんだけどね・・
 これが、結構ハマルとおもしろいんですよ。
 そういや、教師時代に家庭科っての教えてたこともあるんだから、やるやん俺^V^@

 ちなみに日本ではナニーするのに資格はまだ不要なんですよ。
 まあ、信用第一の業務ですから。。。何か信頼できる裏付けが必要なんでしょうが。。
 資格があっても、問題を起こす輩は起こすんですから。。。ようは人でしょう!!

 さて、そろそろ昼食作りの時間です。

                  ってか HP更新の環境が整ってることに感謝です。

 
 

1.1 
 日本列島を発達した2つ玉低気圧が通り過ぎ、南下した寒気団とともに、典型的な冬型の気圧配置で2011年が明けました。
 京都では最低気温(−0.4℃)最高気温(1.7℃)の底冷えの予想でした。全国から大雪の知らせが寄せられています。
 年末年始を移動されます方は、交通に十分お気をつけ下さい。また、各地で通行止めの箇所が出ておりますので、交通情報をご確認下さい。

 って 年始からウェザーリポートして調子こいてどうするんじゃ 俺^^^^^^^

 Choo Choo TRAIN   まだCDTV 視聴中

 EXILEばっかりやん

 そこで  おどろいてはいけない スパイ24時 に CHANGE

 驚いては歌謡ショー

 RGアバターって

 あけおめメール  メチャ込みしてましたね。。。。

 年越し お疲れっした。。。

 

あけましておめでとうございます

皆様にとりまして良き一年となりますよう
願っております


昨年は地道な土づくりが大いなる実りをもたらすのだと
実感いたしました

木 火 土 金 水
の有意なる循環が恵みを生み
その恵みにより人は幸福を感じられるような気がします

その恵みを人は慈悲と呼んだり
神と感じたりするのでしょうか

物質や精神の世界観を超えた
空なる次元に見え隠れする宇宙の理


時が流れ 幾千万年過ぎようとも
移ろいゆく景色は其処此処にあるのでしょう

願わくば愛が祈りの中に見つかりますように

2011.1.1.
akihiro

12.31 NOW
  あと3時間たらずで今年も終わろうとしています。
  ちらほらと雪の舞った京都府南部の大晦日でした。
  アニマックスで北斗の拳10時間スペシャルをON AIRしながら  部屋の片づけもそこ  そこに。
  恒例の義母の家で紅白を・・・・・
  L’Arc〜en〜Ciel  BLESS にやや満足しながら・・・
  少し歳取ったね(笑)って   でも やっぱかっこええわ。
  
  森進一さんの耳に付いてたモニタークリックがコーディネートされてるのがおもしろかった よ。 あれって みんな同じ機種なんかな???

  そうそう 甥っ子が養子縁組して義母と一緒に暮らしてるんですが、その息子の樹(いつ き)くん:もうすぐ2歳がめちゃくちゃかわいいんですよ。見た物、聞いたことを何でも音声単 語にしてしまう。
  「マメ」  「おいち」  「ちんかんせん」  「ユキ」
  
  TVに映った船を見て
  「せんすいかん」   「えっ!なんで???」
  
  TVのニュースに大きな字幕{雪崩}
  「なだれ」       「えっ!なんで???漢字読めるのか?」 
  
  そうそう 後ろのTVでダウンタウン見てる息子ら集団がいてね。
   時々、馬鹿笑いしとるのよ。 あれって笑ったらあかん番組なんでしょうに・・・

  Perfume 久しぶりってか あんまり興味もなかったんだけど
  少女時代を見慣れたら 妙に脚が気になってしかたないじゃないか。。。。。

  Lollipop のバックダンサーのヒョウ柄のスパッツがコスプレで欲しいのは俺だけじゃない  よね。

  ん、そろそろ 年越しそばタイムかな。

  一昨年まではにしんそばだったんだけど・・・
  去年はえび天の方が人気があったからね。。。

  今年は天ぷらそばみたいです。

  ん、、、こうやって座卓に座って適当に綴っていても・・・・
  
  腰が  いた〜いのら、、、
  実は昨日、燃やした灰を畑にスコップでまいていたら・・・クキッて
  捻ってしまってね・・・・     とほほほほ

  お風呂上がりに義母が 「湿布をはってあげようか」って

  泣けますよ。  「お願いします。」って 半ケツ向けてる俺が・・・

  BGMは「トイレの神様」〜おばあちゃん ありがとう ありがとう〜 だって
  タイミング良すぎっしょ(笑)

  ロキソニン入りの湿布薬 あざーす 義母様は80歳

  今年もあと1時間たらずでっす。 皆さん もうすぐカウントダウンですよ〜〜〜。

  こんなに紅白と向き合ったのは小学校4年生以来ではないか。。。

  坂本冬美さん NHKがIICHIKOのCMしちゃったよ(汗)

  紅組のとりは ドリカム   かつらっちがよろこんどるかもなっ。。。

  白組は・・・    まあいいじゃないですか。

  そういえばSMAPのパチンコ台って出てないよね。
  なんかありそうでない物の一つかもしんない(笑)

  結果は・・・・   ん、、、  どうでもいいんだけどね。(すぐ忘れるし・・・)

  Openinngはたしか あゆでした。。。

  水樹奈々ちゃんのアニメ声も聞けたし。。。どうせなら「甲賀忍法帖」が聞きたかったんだ けどね。

   いつしか年も すぎのとう   あと   15分  

   年越しライブ 除夜の鐘  そりゃ   ゴ〜ン

   「お茶入れましょか?」
  
   「お茶っぱかえたらわ。屁ふんだようなお茶やで」

   「へ、 へえふんだようなおちゃって、、、」
   
   どんなんですか? お義母さま


   CDTVにチャンネルchange

   I WISH FOR YOU     カウントダウンしてないし・・・・・

   あと1分

   やっとカウントスタート

   10 9 8 7 ・・・・・・321 

   上に
  

  

  

  

  
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